2017年11月2日 『擬』~「世」あるいは別様の可能性~
『擬(MODOKI)』という松岡正剛師匠の最新刊本を読みました。
サブタイトルには、~「世」あるいは別様の可能性~
カバーには、~「世」はすべて「擬」で出来ている~
とあります。
読む前には、「世」と「擬」と「別様の可能性」との関係が記され、読み解く旅へ誘われるように感じました。
私の重心、関心ゴトは、「価値創造の知」なので、「上記の関係性」と「価値創造の知」との交流の明滅がワクワクドキドキとなります。
そんな視点・視座での一部を本夜は綴ります。
先ず、「世の中」に「世界」と「世間」を提示しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いまの「世界」は、ロゴスによるユニバーサルでユビキタスな普遍主義として捉えています。でも、世の中はロゴスによる「世界」だけでできてはいるのではなくて、農耕や裁縫や日々の言葉づかいや食欲は、もっとくだけている。
ぼくはこれを、世界に対して「世間」ということにする。世の中で世界に属するルール・ロール・ツールでかたちづくられているのが一割か二割くらいだとすれば、のこりの八割や九割は世間だらけになっている。
そのうち面倒なことがおこった。世界基準のルール・ロール・ツールが(グローバル主義のように)だんだん世間に押し付けられていったのだ。実際は世間なのに、その継ぎ目に「世界の部品」をどんどん使わなければ認めないというふうにした。
これでは世間が世界の支配に屈していく。
------------------------
このような「見立て」に自分の脳がかなり刺激されます。
自分の中では、そこから勝手に「20年前の通産省の廊下の話(出典:田坂広志「これから市場戦略はどう変わるのか」)」が浮かび上がりました。
通産省の廊下の部屋の前の部局の看板には、「鉄鋼課」「繊維課」「産業機械課」「自動車課」「電子機器課」・・・が並びますが、期待されている産業は何だったのでしょうか?
当時のニーズは、「環境産業」「シニア産業」「教育産業」「Eコマース産業」であり、それぞれ、
・快適な環境に住みたい
・豊かな老後を過ごしたい
・子供に楽しく学ばせたい
・手軽にショッピングがしたい
といった生活者の「ニーズ」を中心として形成される「ニーズ型産業」なのでした。
それは、決して「鉄鋼課」「産業機械課」等の『縦串』では対応できません。世の中の将来を洞察して、『横串』でなければ実現できません。
そんな時代に、「横串でできる事業の型(ビジネスモデル)」を実現したくて、23年前に社長に直訴して創ったのが、「ヒット商品緊急開発プロジェクト(第14夜)」でした。
「縦串」と「横串」の構図は、今でも根強くあって、「ビジネス4.0、ビジネス5.0」というのは、横串でなければ対応できません。そこには、一気通貫で横串する構想力・プロデュース能力が求められます。縦串の中にいては世界と世間が見えないので、外部の力を活用する時代です。
上記の「世界」と「世間」で云えば、「世界」は縦串(1~2割)で、「世間」は横串(2~9割)です。世界と世間の間(ま)となる『継ぎ目』をどう編集するかにかかっています。私たち(新価値創造研究所)はそこを仕事にしています。
さて、この本(『擬』)には、「知の本来と将来」のヒントが満載なのですが、重要なキーワードについて触れます。
それは、コンティンジェンシー(Contingency:偶有性)です。本分から引用抜粋します。
--------------------------
コンティンジェンシーという言葉は、そこに含まれている意味がとてつもなく重要なわりには、いささかわかりにくい。語源はラテン語の動詞“continger”である。「互いに触れ合う」「同時に重なる」という意味を持つ。
お互いに(con)接触(tingence)しあっているところ、相互に共接しあっているものという意味になる。だから、訳せば、偶発性ではなく、偶有性なのだ。
何かの事件や事故がおこった時、「まさかこんなことがおこるとは思わなかった」というふうに多くの者が感じる。事件や事故は起こったわけだから、そこには何かが先行していたはずである。たいていの原因は複合的で多因的だろう。
こうした時、この一連の出来事やシステムには、「もともとなんらかのコンティンジェンシーが偶有されていた」というふうに見る。
見えなかった原因が見えてきたというのではない。ある結果に対して原因が見つかったというのでもない。「他様な発現」をきっかけに、それらの因果を含めた『別様の可能性』が認められたのだ。そういうとき、その対象や現象やシステムには、共接的なコンティンジェンシーがひそんでいたというふうに見る。
あらかじめ、コンティンジェンシーに気が付けば、そこから新たな創発的な筋書きが組み立てられる。
--------------------------
前記の「世界と世間」には、一様と多様、上記には、「他様と別様」が発現します。それぞれを別々に捉えるのでなく、『一緒くた』にしての別様の発現にいつもときめいていている自分が理解できました。
そして、コンティンジェンシーという見方で脳が再整理されました。「わかる」は「かわる」(第8夜)なのですね。
多様な企業や地域のご支援のときに、いつも対象の「本来と未来」を『一緒くた』に説明していなかったのですが、その継ぎ目が観えたように想いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・ぼくが考えている「擬」という考え方は、ボードリヤールのシミュラークルではないし、従来のシステムに代わるアナザーシステムでもない。本物があって偽物があるのではなく、「ほんと」と「つもり」がまじった状態でしか世界や世間は捉えられないという見方だ。・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
クリエィティブ、イノベィティブ、価値創造の仕事は、模倣や見立てをとりこんで、どんどんモドキをつくっていくことと響感しました。知の奥に潜むたくさんの型、偶有性、そして日本の方法が満載でした。
本夜の部分抜粋だけでは、皆様には伝わり辛かったと想います。ただ、『深い知、高い知、広い知』がこの本には一途に多様に散りばめられています。
上記『知』に対する強い関心のある方、また背負う覚悟のある方達には必読の書に想います。
価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ