橋本元司の「価値創造の知・第123夜」『価値創造とイノベーションのあいだ』➉「アブダクション」が不可欠!

2018年3月24日 「アブダクション」で飛躍する!

将来イノベーションを洞察する際に、是非身につけておきたい「推論法」をお伝えします。
これまでに、将来を洞察する別格の方法(守破離:第5夜、弁証法:第10夜、シナリオプランニング:第15夜)を綴ってきましたが、そこで使われる方法の中心は、①帰納法、②演繹法ではなく、③アブダクションです。

「本来と将来」を洞察することを生業としている人には「アブダクション」はあたり前ワードなのですが、一般に「アブダクション」という言葉を聴いたことがある人は少ないと想います。それは普段は、無意識で使っている方法なのですが、意識して活用することで人生に役だちます。

いったい「アブダクション」とは何でしょうか?
松岡正剛師匠の千夜千冊1556夜に記されているので加筆引用します。
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今夜は、どうもアブダクションという推論の方法が掴みにくいなと感じている諸君に向けます。正確には論理学についての知識も必要ですが、そこは軽く扱うので、心配無用。
でも、アブダクションを使えるかどうかは、諸君の仮説にかけるセンスと仕事を仕上げる腕っぷしにかかっています。
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チャールズ・パース(1182夜)は
①帰納はひとつの値を決めるにすぎず、
②演繹はまったくの仮説の当然の帰結を生むだけ
③「アブダクション(仮説的推論)」は説明的な仮説を形成する過程である。それは新しいアイディア(観念)を導く唯一の論理的操作であるであるからだ。
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②「演繹法」は与えられた観察データを“説明する”ための論理を形成するもので、わかりやすくいえば、「◇◇◇だから、☆☆☆である」という論理を数珠つなぎにしていって結論を引き出すという、そういう推論です。
すなわち、一般的な大前提をルールの措定された根幹にして(→人は死ぬ)、そこに中間段階の展開を加え(→ソクラテスは人である)、最終の言明(→ソクラテスは死ぬ)を確立するという方法です。
三段論法が最もよく知られているように、仮定をひとつずつ検証可能な真実かどうかを確認しながら進むため、導き出された結論は強い説得力をもっています。
ただし、最初の大前提(→人は死ぬ)は、仮説のようでいて仮説ではないのです。一般的な常識のように設定できるか、あるいは数学的な公理のように前提になっているような、そういう大前提を下敷きにしておく必要がある。
ということは演繹法ははなはだ自己決定的で、問題解決的だという性質をもっているということになります。だから技術や科学にはふさわしい。いったん前提から発進しはじめると、その次からはどんどん前に進みたくなる推論なんです。けれどもそのぶん、最初の一般的な大前提に偏見や誤りがあると(たとえば「民主主義は正しい」等々)、結論もおかしなものになりかねない。

①一方、帰納法は観察データに“もとづいて”一般化をするためのものです。
たとえば「人は死ぬ」という仮説を言明するために、「ソクラテスは死んだ、真田幸村は死んだ、リンカーンは死んだ、おじいさんも死んだ、隣りの姉さんも死んだ」というような事例をどんどんあげて、そうした個々の事例の集合にもとづいて「人はみんな死ぬ」という結論を導く。
そういうふうに、いろいろなものに“もとづく”という方法です。アリストテレスやキケロは「枚挙法」という言い方をしていました。似ているものを探しながら推理するといってもいいでしょう。
したがって帰納法は「量から質を導くとき」に有効で、そのぶんきわめて自己規制的(self-regulative)になります。これは、いいかえれば量的な現象に対して強いロジックで、それゆえすこぶる自己修正的(self-corrective)な性質をもっているんですね。
けれどもどこまで事例を集めればすむかというと、そこは案外はっきりしない。一定の範囲で共通項が見えたら、このくらいでいいだろうという質的な判断がまじります。
ただし、今日のようなビッグデータ時代では、似たような事例はそうとう集まってくるので、こういう場合の帰納法はそれなりに強力です。とはいえ、そればかりしていてはデータが厖大に重くなる。
ビッグデータはこの悩みをかかえているわけですね。

③ もともとアブダクションは帰納法の途中から発展していったものです。事例をどこまでも集めるだけではキリがないとき、いったん仮説を設定して、その仮説の地平からあたかも戻ってくるように推論を仕上げる、束ねるという方法ですからね。
この、「あたかも戻ってくるように推論を仕上げる」「いうところが、たいへん大事なミソです。ツボです。途中で先に進んで、そこから戻ってくるんです。
そのため、アブダクションはまたの名を「レトロダクション」(retroduction)ともいいます。いったん仮想した概念や事例のほうに推論の道を行って、そこからまた戻りながら推論の内実を仕上げていくからです。
パースはアブダクションを拡張的推論(amplative reasoning)だとも言っていました。拡張的機能あるいは発見的機能をもつ推論だからです。ぼくはそういうアブダクションこそ編集的機能をもっていると思っています。

★ それでは、どこが帰納法とアブダクションが大きく違うのかといえば、次の点にあります。
アブダクションという方法には、大きく傑出した二つの特徴があると思うといいでしょう。
ひとつには「われわれが直接に観察したこととは違う種類の何ものか」を推論できるということです。帰納法には「違う種類のもの」は入りません。似たものばかりが集まってくる。けれどもアブダクションは「違うもの」を引き込むことができるのです。ここがとても重要なところです。
またもうひとつには、「われわれにとってしばしば直接には観察不可能な何ものか」を仮説できるということです。いまだに例示されたことのない仮説的な命題や事例を想定することができるのです。これは哲学や社会学がこれまで前提にしてきた概念で言うと、いわば「ないもの」さえ推論のプロセスにもちこむことができるということで、きわめて大胆な特色になります。ぼくが気にいっているのは、ここなんですね。
このような驚くべき特徴は、アブダクションには「飛躍」(leap)があるということを示していると言えます。・・・
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皆さんにご理解いただくために、多くを引用させていただきました。上記で、もうお分かりかと思いますが、

『アブダクションには「飛躍」(leap)があるという驚くべき特徴がある』

ということが「価値創造とイノベーションのあいだ」のポイントです。
従来のやり方、考え方は、先細り・行き詰まりを感じておられる会社・地域が多くあります。『その行き詰まりの枠・制限を超える適切・的確な「飛躍」(leap)』が次の一手、次の柱、革新・イノベーションには求められます。

3つの『トリニティイノベーション』の「深い知・高い知・広い知」は全てそれまでの常識を打破る飛躍の方法です。
それは、「新奇」なものではなく、「目から鱗が落ちる」世界の発見・発現です。
それ故に、価値創造・イノベーションには、「アブダクション的思考」が不可欠なことを身をもって体験してきました。

ここで問題となるのは、飛躍することは「ファーストペンギン」になる可能性が高いということです。
(「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。
転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。
日本でも、NHKの朝の連続ドラマでそのエピソードが紹介され、広く一般に知られるようになりました)

そこで重要となるのが「核心⇒確信⇒革新」(第118夜)です。特に、『確信』がポイントですね。「確信」がなければ、「革新(イノベーション)」には向かいません。
そして、「確信⇒革新」に向かう時に、従来のやり方・考え方と違う世界を取り扱う、踏み出すという「覚悟」が必要になります。
そのためにも、私たちは従来事業を含み込む「適切・適確な飛躍(次の一手、次の本流)」には細心の注意を配ります。

「人(メンバー)」は自分の知識、情報や体験以上の発想ができません。そのために、私たちは異業種の事例やシナリオ、ビデオ等を多くご用意します。

一緒に、「適切・適確な将来(次の本流)」に向けて『飛躍』しましょう。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
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