橋本元司の「価値創造の知・第177夜」:古典「老子の知」①

2018年11月9日 「道(タオ)」とは何か?

本夜は「老子」を取り上げます。
「価値創造の知」と、深いつながりがある思想哲学です。。

「老子」と云えば、「道(タオ)」が根本ですね。この本質をどうシンプルに把えるかで観える世界がまるで変わります。
「道(タオ)」とは何でしょうか?

「真理、理想、大、混沌の運動・・・」等々、多くの訳(やく)があるですが、そのことで訳(わけ)が分からなくなります。
それは、般若心経の「空」や「無」についても同様(第6夜)でした。「無」を「ない」と解釈すると間違います。

[第42章]
道生一、一生二、二生三、三生萬物。
萬物負陰而抱陽、冲気以為和。
(道一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物影を負いて陽を抱き、冲気を以て和を為す)

(前半の)最初に出てくる「道」は、天地よりも先に存在する「なにか」であって「無」を指します。それを姿かたちのない存在として認識したのが「一」としての気。
さらにそれが陰陽の二つに分かれて、「二」となり、冲気(陰と陽の気を作用させること)が作用して「三」となり、そこから萬物が生まれてくる。
「無」からすべてが生み出されるというと、なにもないところから生まれるはずがないだろうと思ってしまいますが、老子は「無」というものを、
なにもないのではなく、ありとあらゆる可能性を含み持つ状態だとしたのです。(訳:蜂谷邦雄)

(後半)世の中に誕生したものはすべて「陰」と「陽」という矛盾した二つの要素を内包している。それを「どちらを取るか」という二者択一の発想ではなく、
こころを空っぽにして「陰陽両方を取る」という心持で、没頭没我の状態で物事に取組むことが大事である。そうすれば矛盾を乗り越えることができる。(訳:田口佳史)

価値創造の知・第6夜に、「色即是空・空即是色」の自分の見解を綴りました。
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「色即是空」というのは、「現実=色」に問題・課題があるのなら、先ず心を無にして、「大元=空=大切なこと=真心」に戻りなさいと教えてくれているように思います。
そして、「空=大元=真心」に戻って従来のしがらみや常識から解き放たれて、その本質(=コンセプト=核心)を把えてから「現実=色」を観ると新しい世界(=現実=色=確信)が観えるということではないでしょうか。その確信を革新するのがイノベーションであり価値創造です。
スティーブジョブズは、禅寺に通っていたことを知った時に、「iPhone」は「核心→確信→革新」に至ったと確信しました。
だから、「色即是空」「空即是色」と繰り返しているのです。「色」と「空」が同じであれば、繰り返す必要はないのです。「色即是空」と「空即是色」の「色」は異なるものです。
さて、超越瞑想や禅に入ると、「無」は「何もない」ということではなく、「遠ざける・気にしない」という意味だと体感できます。・・・
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「般若心経」と「老子・第42章」を並べてみると、般若心経の「空(クウ)」と「老子」の「道(タオ)」が全く同じことを云っていることが分かります。

「道(タオ)」とは、すべてのモノゴトの「大元:天地万物を生み出す原理(=空=道)」です。

その様に読み解くことで、般若心経も老子もすっきりと頭と心に入ってきます。

つまり、「空」「無」「道」をどのように解釈するかで、モノゴトの本質にたどり着けます。
(「空」や「無」をないものとするのは間違いです)
そしてそれは、そのまま「価値創造の知」「イノベーション」の道でもあります。

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夫れ物芸芸たるも、各々その根に復帰す。
(訳:田口佳史):いろいろな問題が、葉が生い茂るように発生するけれども、すべては根に帰る。「根」すなわち「根本」に立ち返れば、解決が見えてくる。
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学を為す者は日に益し、道を為す者は日に損す。之を損し又た損し、以て無為に至る。無為にして而も為さざる無し。
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雑念や欲望や枝葉を遠ざけて、「大元」に戻ることで「新時代の価値」(第33夜、第66夜、第85夜)が観えてきます。
それは、トリニティイノベーションの3本の矢の一本目(=深い知)。

「般若心経」「老子」は、事業、地域、社会、人生の問題・課題の全ての前提、土台、分母となり解決に向かう思想哲学です。それは、あらゆる考え方の大元(おおもと)であり、源泉です。

本夜は、前半の「道(タオ)」が大切にすること、本質を綴りました。
次夜は、後半部(陰陽)と孔子との関係を考察します。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
老子