橋本元司の「価値創造の知・第188夜」:「世阿弥の知・離見の見」⑨

2018年11月29日 「我見」と「離見」

100分de名著「世阿弥」の第3回目の放送のテーマは、「離見の見」でした。
その中で、土屋惠一郎さんは次の様に解説していました。

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世阿弥は「離見の見(りけんのけん)」ということを言っています。<見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ>という意味です。
ポイントは「目前心後もくぜんしんご)」にあると土屋は指摘します。<目は前を見ているが、心は後ろにおいて置け>ということです。

自分は前に出て行くのだけれど、客席との間にはある関係の力が働いていて、自分が後ろに引っ張られたり、離れたりする。
そういうすべての関係の中で自分がそこに立っていると意識しなさいということです。そういう意味では、「自分のリズムだけでやるな」ということにもつながるかもしれません。
見所同心(けんしょどうしん)、客席と一体になるように考えてやらなければいけない。自分だけで勝手に盛り上がってもだめだということです。
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「離見の見」で自分が思うは、「我見(がけん)」と「離見(りけん)」です。
私たちは、ついつい「自己中心」でモノ・コト・ヒトを観てしまうのです。それが「我見(がけん)」です。
どこかに、こうなって欲しい、こうあって欲しいという「我欲」「願望」が混じります。

これは、研究所やビジネスの「場」でもよく見られます。
研究所の場合は、研究の「シーズ(種)」ばかりをみて、固執して、顧客・市場の「ニーズ・ウオンツ」とのマッチングに届かないことで溢れています。
なかなか「離見(りけん)」ができないのですね。
そのようなことがあって、本社から総合研究所に請われて異動しました。(第147夜)
研究テーマが日の目をみないで、「死の谷」を渡れないことの大きな理由が「顧客価値創造」ができていないことにあります。
顧客(客席)と一体になるように考えてやらなければいけない。

どうしたら、「顧客価値創造」に届くのかを、この「価値創造の知」で連載してきました。

それは、研究所だけではなく、「既存事業」「新事業」でも同様です。
自分だけで勝手に盛り上がってもだめだ。
顧客の価値観が変わる中で、自分達が変わらないことは右肩下がりや倒産を意味します。
「価値のイノベーション」「意味のイノベーション」(第130夜)に綴りました。

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「EU」はクリエイティブ産業の育成に予算を注ぎ込んだ時代があります。しかしながら、あまり芳しい結果をもたらすことができませんでした。
他方、生産性の向上をどう図るかは、長い間の懸念でもありました。しかし、中堅以下の企業にとって生産性の向上は、実践と効果を考慮すると無理難題が多いと考えられます。
そこで、EUのイノベーション政策立案者が考えた選択肢は二つです。
①テクノロジー開発の背中を押すか
②市場に“新しい意味”をもたらす土俵をつくるか
テクノロジーの推進をやめたわけではありません。しかし、それと同時に“新しい意味”を創る中小企業を増やすことが欧州にイノベーションを起こし、長期的な資産を築き上げることに貢献すると考えたようです。

技術が「どうやって?」を求めるのに対して、“新しい意味”は「なぜ?」を追求します。
(これは、第84~86夜「meaning-深い知」、第118夜「核心・確信・革新が道筋」と同じことを云っています)
つまり、「意味のイノベーション」です。
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それは、「離見の見」のアナロジーでありアプローチにいい事例です。

さて、「新価値創造イニシアティブ」(第77夜)には、「離見の見」に繋がるコトを綴っています。
・「価値を伝える力&価値が伝わる力」(第69夜、第70夜)
・「巻き込む力&巻き込まれる力」(第71夜、第72夜)

「価値を伝える力」「巻き込む力」が注目されますが、それはどちらかというと「我見」です。
「価値が伝わる力」「巻き込まれる力」がなければ前進できません。これが「離見」です。

この両方が「二つでありながら一つ」(第33夜、第82夜)で市場創造にリーチできます。。

ビジネスの話をしましたが、人生も同様ですね。
第186夜の「間(ま)」でも記しましたが、人と人との「間」、関係で人生は成立しています。
「空間」「時間」「人間(じんかん)」を「離見」で観ることで人生は、深く・高く・広くなります。

見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ。
「我見」ではなく、「離見」で観た時に初めて、本当の自分の姿を見極めることができる。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ

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