橋本元司の「価値創造の知・第190夜」:「芭蕉の知:蕉風開眼の句」①

橋本元司の「価値創造の知・第190夜」:「芭蕉の知:蕉風開眼の句」①

一か月ほど前、仙台方面に「知の旅」に出遊しました。
その松岡正剛師匠主宰「未詳俱楽部」の二日目に、芭蕉が辿った塩釜から舟で日本三景松島に着いたルートを愛でました。

芭蕉が「おくのほそ道」に記すことはありませんでしたが、芭蕉の句に

「島々や千々に砕きて夏の海」

という松島を詠んだものがあります。
東日本大震災のことが頭をかすめながら、それが重なりました。

さて、これまで幾つかの芭蕉のご縁がありました。
ここで、本夜から「芭蕉の知」を綴ろうと思います。

「松尾芭蕉」については、「価値創造の知・第34夜、第175夜」にも記してきましたが、先ず、自分の「芭蕉への見方」を大きく変えた放送からご紹介します。

それは、NHK「100分de名著 松尾芭蕉」の第1回目で、俳人の「長谷川櫂」さんの解説でした。それを加筆引用します。
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古池や蛙飛こむ水の音

この句はふつう「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」と解釈されますが、ほんとうはそういう意味の句ではありません。

古池の誕生のいきさつを門弟の支考が「葛(くず)の松原」に書き残しています。
それによると本来この句は上中下が一度に出来たのではなく中下が先に出来たと言うのである。

つまり先に「蛙飛びこむ水の音」ができ、さあ、上の五文字を何としたらよいかと暫し思案があって、その場に居た弟子の其角が「山吹や」としたらどうですか、というのを芭蕉は敢えて「古池や」と書いたとか。
この句の完成が、芭風開眼と言って芭蕉が旧風を脱して自らの句風に目覚めた瞬間だと言います。

つまり、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句なのです。
つまり、現実と心の世界という次元の異なる合わさった『現実+心』の句であるということになります。
この異次元のものが一句に同居していることが、芭蕉の句に躍動感をもたらすことになります。

それは、それまでの言葉遊びにすぎなかった、貞門俳諧や談林俳諧の停滞を脱して、心の世界を打ち開いた句であった。
それまでだったら、蛙は鳴くものであり、取り合わせは古池ではなく山吹だった。
現に芭蕉が「蛙飛こむ水の音」という中七下五を得たとき、傍らにいた其角は「山吹をかぶせたらどうか」と意見を言って芭蕉に却下される。
山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実(じつ)也。実は古今の貫道なれば、と。
「虚に居て実にあそぶ」が芭蕉の風雅だ。
俳諧が古代から心の文学であった和歌に肩を並べた、俳句という文学にとっての大事件だったと、長谷川は書いています。

心の世界を開くことによって主題を変遷させ、音域を広げ、調べを深めていく。
そして数年後、芭蕉は「古池や」の流れに繋がる句を作りたくて「みちのく」を旅する。即ち「奥の細道」である。
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上記は、第33夜、第40夜に綴った禅の思想であり、価値創造の柱である「二つでありながら一つ」そのものです。
『現実+心』が「二つでありながら一つ」であること。
それが、『蕉風開眼の句』となりました。

それを理解すると、「奥の細道」の芭蕉の句が生き生きとして見えてきました。
それは、ちょうど『枯山水』の世界とダブっています。

受け手側が主人公となって『余白』を任せられるのですね。

違う視点からは、「俳句」も「枯山水」も引いて引いて立ち現れる世界でもありました。
それは、「価値創造の知・第一法則」であります。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉