橋本元司の「価値創造の知・第191夜」:「芭蕉の知:『虚に居て実にあそぶ』」②

2018年12月4日 芭蕉とAR・VR・AIの新結合

少し前に添付の様に、芭蕉の句で有名な山寺を訪ねました。
大仏殿のある奥の院まで1,015段ある石階段。「一段一段踏みしめていくごとに一つずつ煩悩が消え悪縁を払うことが出来る」と云われるその石階段を何とか上りきりました。

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

その「閑かさ」、「岩にしみ入る蝉の声」と頂上の景観を感じるためでした。
そこでは、世阿弥の世界にAR(オーグメンテッドリアリティ)、VR、AIがよぎったことが不思議でした。

さて、前夜に、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句である、という蕉風の世界をご紹介しました。
ここにも「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句である」ということが展開されていることがわかります。

ここで水先案内として、松岡正剛師匠の千夜千冊・991夜「松尾芭蕉 おくのほそ道」に幾つか引用します。
(対象の「全体と本質」を把むには、別格のナビゲーションに触れることがたいへん役立ちます)
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・・・ところで最初に言っておいたほうがいいだろうから言っておくが、芭蕉は天才ではない。名人である。そういう比較をしていいのなら、其角のほうが天才だった。才気も走っていた。
芭蕉は才気の人ではない。編集文化の超名人なのである。其角はそういう名人には一度もなりえなかった。
このことは芭蕉の推敲のプロセスにすべてあらわれている。芭蕉はつねに句を動かしていた。一語千転させていた。それも何日にも何カ月にもおよぶことがあった。
そういう芭蕉の推敲の妙についてはおいおい了解してもらえるはずのことだろう。
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そう、「編集文化の超名人である」ことを認識することで「芭蕉の知」のイメージが立体になっていきます。
続いて、991夜に記されている推敲の一部をご紹介します。

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(初)山寺や 石(いわ)にしみつく 蝉の聲
(後A)さびしさや 岩にしみ込む 蝉のこゑ
(後B)淋しさの 岩にしみ込む せみの聲
(成)閑さや岩にしみ入る蝉の聲
(初)五月雨を 集て涼し 最上川
(成)五月雨をあつめて早し最上川
(初)涼しさや 海に入れたる 最上川
(後)涼しさを 海に入れたり 最上川
(成)暑き日を海に入れたり最上川
(初)象潟の 雨や西施が ねぶの花
(成)象潟や雨に西施がねぶの花

どれを例にしても驚くばかりの「有為転変」である。とくに立石寺で詠んだことになっている「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」は、初案の「山寺や石にしみつく蝉の聲」とは雲泥の差になっている。
なかんずく「しみつく」「しみこむ」「しみいる」の3段に変えたギアチェンジは絶妙だった。「しみつく」では色彩の付着が残る。「しみこむ」は蝉に意志が出て困る。それが「しみいる」になって、ついに「閑かさ」との対比が無限に浸透していくことになった。こんな推敲は、芭蕉一人が可能にしたものだ。とうてい誰も手が出まい。

われわれにとって多少とも手が出そうな芭蕉編集術の真骨頂は、おそらく、「涼しさや海に入れたる最上川」が、「暑き日を海に入れたり最上川」となった例だろう。
なにしろ「涼しさ」が、一転して反対のイメージをもつ「夏の日」になったのだ。そして、そのほうが音が立ち、しかも涼しくなったのである。
享保に出た支考の『俳諧十論』に、芭蕉の「耳もて俳諧を聞くべからず」という戒めをめぐった文章がある。連句の付合(つけあい)の心得をのべているくだりだが、実はこの言葉は「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」にも、あてはまる。蝉の声は耳で聞いているのだが、それを捨てていく。そうすると、「目をもて俳諧を見るべし」というところへふいに出ていける。
これは「涼しさ」が涼しい音をもっているにもかかわらず、あえて「夏の日」という目による暑さが加わって、それが最上川にどっと涼しく落ちていくことにあらわれた。

「物によりて思ふ心をあかす」

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「上記の様に伝えてもらう」と、自分の様な凡人にもビシビシ「伝わります」ね。
そのことは、第60夜「価値創造イニシアティブ:現状を革新する7つの力」の5番目に記しています。

それが、「伝える力・伝わる力」(価値創造の知・第69~70夜)です。引用します。
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「伝えた」ことが「伝わる」に変換されるには、そこに化学反応が起きて、何らかの化合物ができるようなものです。

「伝える」⇒共感・共鳴⇒「伝わる」⇒変わる・行動する(変化・行動)
ここにおいて、「新しい関係が構築される」のが「伝わる」ということです。
「伝える」⇒わかる⇒「伝わる」⇒かわる
という方程式です。

私が前職でプロデュースした、連続「異業種コラボ・ヒット商品」がこの図式です。(第14夜)

「伝える」というのは、送り手の情報を受け手が「知った」という状態。「伝わる」というのは、送り手の情報が受け手に響き、共感・共鳴して変わり行動すること。つまり、第8夜『「わかる」ことは「かわる」こと』で記した状態です。

つまり、『新しい関係性が構築されたコト』を意味します。
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推敲で記されている芭蕉の「耳もて俳諧を聞くべからず」「目をもて俳諧を見るべし」
というポリシー・スタイルが凄いというか凄まじいですね。

自分は、前職パイオニア社で、「サウンドスケープ(音風景)」をプロデュースしていました。
風景は目で見るものですが、「耳で風景を観る」という共感覚(第3夜:負・マイナスの美学)を文化にしたい、世間に広めたかったのです。
それは「逆転の見方」であり、「負(余白)の美学」でした。自分(橋本)の理解では、これと同じ日本の方法が枯山水であり、俳句であり、長谷川等伯の「松林図屏風」でした。

「俳句から、現実(実)と心の世界(虚)を負(マイナスの美学)に仕立てていく」

芭蕉からのいい学びがありました。

『虚に居て実にあそぶ』

そこには、負(マイナスの美学)と、AR・VR・AIとの融合、新結合、新文化が浮かんだのでした。

それをアナロジーとして、新価値創造へフィードフォワード(活用・応用・展開)しようと想っています。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉山寺