2024年12月5日 「負の美学」「引き算の魅力」「禅の感覚」
2005年10月の第19回文化経済研究会に隈研吾氏が登壇されました。
テーマは、「成熟時代の建築におけるデザイン戦略」
隈研吾さんとは、谷口正和師匠、松岡正剛師匠の両仕事場で5回ほどお会いして『一流の匠』を拝見・拝聴させていただき、そのことが私の『知の財産』になりました。
それは、引いて引いて価値を創造する「負の美学」「引き算の魅力」「禅の感覚」です。
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「負の美学」として、藤原定家の有名な歌があります。
「見渡せば花も紅葉のなかりけり浦の苫屋の秋のゆふぐれ」
浜辺でまわりを見渡しても何もない寂しい秋の夕暮れだというのが表向きの意味です。しかし、定家は何もないのならそれでいいのに、わざわざ花(桜)や紅葉がないと言っています。「花も紅葉のなかりけり」と言葉の上で否定した表現によって、かえってそこから花と紅葉が現出することを可能にしたのです。
「ないもの」をイメージする力にプラス(クリエイティビティ)が潜んでいます。
これは「逆転の見方」であり、「負(余白)の美学」です。これと同じ日本の方法が枯山水であり、俳句であり、長谷川等伯の「松林図屛風」です。

「枯山水は、水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまっている。つまり、そこには『引き算』という方法が生きているんです。それが新しい『美』を生んだ。・・・」
(松岡正剛師匠談 加筆引用)
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私達は、ついつい足すことで「価値」を付加しようと発想しますが、元々日本には「負(マイナス)」することで新しい文化を創るというDNAを持っています。あの「わびさび」の世界も同様です。禅寺に通っていたスティーブジョブズ氏(第321夜)は、引いて引いて「iPhone」文化を創りました。
隈研吾氏の「負ける建築」も同様に新しい文化をつくられました。
本夜は、隈研吾氏「負ける建築」を通して、『負(マイナス)の美学』『逆向きの発想』『アートに潜む「負の想像力」』による価値創造を感じていただけたらと思います。
後方で、本書「負ける建築」を「2+1」で表したいと思います。
■著書『負ける建築』の“はじめに”から引用します。
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・・・象徴にも、視覚にも依存せず、私有という欲望にも依存しないで何かをさぐっていきたい。
「強い」建築をたちあげる動機となった、それらすべての欲望から、いかにしたら自由になれるか。
そんな気持ちを込めて「負ける建築」というタイトルをつけた。
・・・・突出し、勝ち誇る建築ではなく、地べたにはいつくばり、さまざまな外力を受け入れながら、しかも明るい建築がありえるのではないか。
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私の建築のファンにはある共通性がある。
それは、「反中心」という人が多いということだ。
マルセイユの人はパリの建築家がきてマルセイの建物を建てるのが嫌なんです。
だから、私といっしょにくんでマルセイユらしさを出したいとなる。
その場所を大事にしたいという人たちが隈研吾の建築のファンになる。
私はこれからも、一生懸命その場所を理解し、その場所を活かし、そして楽しんで建築を作っていきたい。(松岡正剛「匠の流儀」引用)
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「Why?:『建築』という存在自体に何か問題があるのか?」
という素朴な疑問から、その要因を上げています。
「建築」は確かに嫌われて然るべき、さまざまな『マイナス』『宿命』を有している。
1.まず、大きいこと。大きければ当然目障りである。
2.途方もない物質の浪費
3.一度つくったら取り返しがつかないこと。そのふてぶてしさ。
「建築のヴォリューム」がある臨界値を超えると、人は建築に対して警戒し始めます。
『Why?』と自分自身にたえず問いかけて、自分でそれに答えてゆくという「深い知」(第85夜)がここに記されています。
■めざしているのは「負ける建築」
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・・・建築のテーマが「居心地のよさ」になり、建築家がこういうテーマで話すようになったことは、時代だなぁ、と思います。建築というのは、国づくりの基本的な方針をつくるとか、インフラとか、合理性とか機能性とか・・そういう言葉で語られてきたもので、居心地などという言葉で建築を語るなんて、やはり時代が変わったんだなぁ、と思うわけです。
要するに、建築というのが「経済成長のシンボルの時代」ではなくなった。「成熟化の時代の建築のあり方」が問われるようになったのだということだと思います。日本の建築はバブルの後、確実に成熟時代を迎えています。今日は、成熟時代の建築とは何かというお話をしたいと思います。
結論から言えば、それは「場所性に根づいた建築」です。場所の個性とか力とか時間とか、そういうものを引き出していくような建築でなければいけない。中央の文化を地方にばらまくといったような建築ではなく、逆にそれぞれの場所場所に埋もれている力を引き出していくような建築であって、『成長期に比べるとまったく逆向きの建築』です。中央からの建築ではなく末端からの建築です。建築家のデザインの手法も変わってきます。自分のデザインをばらまくのではなく、それぞれの場所に合わせて建築家も変わっていく。そうありたいと思います。
岩波書店から昨年出した『負ける建築』という本に、このことを書きました。建築が場所に勝ってはいけない。場所が建築に勝ってくれるほうがいいし、そこに住む人が建築に勝ってくれるほうがいい。それでは「負ける建築」とは実際どういうものなのか。今日は映像を中心にお話したいと思います。・・・
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経済成長のシンボルの時代ではなく、「成熟化の時代」の建築のあり方を根本的に自らに深く問い、考えられていることに共感しました。
「大切なものを引く」ことで新しい価値を生み出してきた日本人
改めて、「価値創造」するときに、日本人がもっとも得意としているのは「引くこと」です。
アルコールフリーのビール系飲料は「ビールからいちばん大事なアルコールを抜いた」ものだし、NHKのアンケートで「見たい国宝」の1位になった長谷川等伯の『松林図屏風』は西洋画のようにびっしりと描き込むことがなく、見る者がその世界に入り込める余白が設けてあります。龍安寺石庭に代表される枯山水は「水を感じる」ためにあえて水を抜いてある。カラオケもまた「歌=ボーカル」という大切なものを抜いたことで大ヒットし、ひとつの文化となった。これらはすべて「禅の思想」。執着や先入観といったものを取り払う、あるいはいちばん大事なものを手放す。実はそうすることで新しいものはできていきます。
第235夜で「経営理念を明確に持つ」を綴りましたが、そこに必要なスキルは「WHY:深い何故」でした。
それは、禅(ZEN)や瞑想の世界に通じています。引いて引いて、『大元(おおもと)』『空』に辿り着く。
自分は35歳の時に、ビートルズにも影響を与えた「マハリシ・ヨッギの超越瞑想」の門をご縁によりたたきました。(第6夜)
そこに入って驚いたのは、大手の企業経営者が多いことでした。彼らは、「心を空にする」ことで経営の方向性や生き方を見出しているようでした。(空即是色)
「引き算」をすることで、何かが見えてくることを体験をして、それが「3つの知」の一つである「深い知」の体系につながりました。
そう、そこでは雑念をなくす、私心をなくすことを体得して、大事なコトは何か?そして、大事なものにつながることを体験してきました。
その体性、知性、心性を澄まし、磨いたことが自分の将来に大きな影響を与えました。
この「引き算」「負の想像性」の『一流人の言葉と実践』を両師匠から学び、それを事業で実践してきました。
いまは、それらを多くの方たちに、セミナーや各種ご支援(事業創生・地域創生・人財創生)でお伝えしています。
本夜もその一環です。
それでは、「負ける建築」、アートに潜む「負の想像力」を「2+1」で表します。
何かのお役に立てれば幸いです。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ