橋本元司の「価値創造の知・第215夜」:「落合陽一: 「OS(オペレーション・システム)が違う」⑪

2019年2月27日 「産業革命から脳業革命へ」

落合陽一さんのオープニングレセプション(1月25日)をきっかけにして、「価値創造」と関係するコトを10夜に亘って綴ってきました。
もっともっと綴れるのですが、「何故こんなに綴りたくなるののか」を自分に問いました。

落合陽一さんの場合は、「OS(オペレーションシステム)が違う」(OSとは、コンピューターを動かすためのソフトウェアのこと)
というのが結論です。
それは、従来の考えや常識、そのアプリケーションではなくて、「考え方の分母」が違うからです。

それは「明治維新」以降で起きたような変革(欧米に追い付き、追い越せ)に近い「OS」の変更に思われます。

いい例えではないのですが、「馬車から自動車」に劇的に変化(機械化)するようなものです。
それで、「モータリゼーション」「モビリティ」と、ライフスタイルやインフラが変わりましたね。
また、「自動車」も変革の只中にいます。それも、インターネットと脳業に関係しています。

今回の変革は、「産業革命から脳業革命(Computational Diversity(計算機的多様性)」
それは、「3つのエコロジー(地球・社会・人間)」の“幸せ”につながるものでなければなりません。

その未来社会は、従来のような
・手足のよる労働
・ホワイトカラー的労働
から、AIとの共生や、AIの上位のポジションにあたる「超知的労働」、「横串統合」とは何か?
ということを想像・創造して、ビジョン・構想を提示することに当たります。
(「労働」という言葉が、そぐわない時代になりそうですね。新語が必要です)

課題として、これまでの考え方・常識と「OS」が違うので、従来の既得権の方達の反対や抵抗が気になるところです。
上記について、落合陽一さんが語っているところを引用します。
---------

—「ワークライフバランス」が重要だと言われていますが、これも嘘だと思います。ワークとライフをバランスよくという発想が、タイムマネジメントの発想です。

われわれにとって重要なのは、ストレスマネジメントです。時間で区切ってもストレスが多い職場であればストレス負荷は大きい。

近代は筋肉的ブルーカラー時代から連なる単純頭脳労働のホワイトカラー時代だったのでタイムマネジメントとして仕事=労働力×時間で管理するしかなかったのですが、現代はより、未知なものに挑戦したりクリエイティブが求められる知的労働が盛んな時代なので、ストレスがないことをどうやって作っていくか。

ストレス負荷を何%かけるのか、そしてその心のストレス耐性一人一人がパラメーター化することが重要なのです。知的生産は時間の問題ではなく、成果物の問題ですし、筋がいい人は筋が悪い人の何万倍もアウトプットが違って来る。この差は筋肉や単純計算の時代にはなかった格差です。—

---------

「働き方改革」「労働生産性」も上記のことを頭におきながら進めていくことが求められます。

これからの「知的生産」とは、「価値創造の知」が中心となってきます。

その「価値創造の知」の「OS」を身につけることが求められますね。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一44

橋本元司の「価値創造の知・第214夜」:「落合陽一: 機械化ボーナス」⑩

2019年2月26日 日本先行の「新経済・新技術・新ライフスタイル・新価値・新特許」

第211~212夜から、落合陽一さんが語った「高齢化社会で経済成長する方法」をもう一つ引用します。

---------

—もう1つはわれわれの健康寿命をどう伸ばすか。例えば認知症のおばあさんがご飯を食べたことを忘れると言いますが、食べたことを書いておいてあげればいいし、人間は同じことを聞かれて怒りますが、グーグルホームやアマゾンのAlexaは何度同じことを聞いても怒りません(笑)。

このようなことを本気で考えていけば、われわれは人口減少したがゆえに、政情不安なく生産性を上げられるはずです。退職した人の分を補うように人を採用するのではなく、ロボットが補っていけば人口が半分になったとき、半分は機械が支える社会を作れるはずなのです。

これは欧米、中国、インドのように人口が増加する社会では人の働き口を機械が奪うので実現できません。でも日本は運よく減少しているので、これから20年くらいで機械化ボーナスを得ることが次の取り組み課題だと思っています。

その中でわれわれはいかにして可処分所得を取り戻して経済循環に乗せていくか。それを考えないといけない。清貧な世界は素晴らしい。しかし、経済が循環し消費に転換するがゴミがない社会。一見その矛盾したビジョンをどうやってコンピューテーショナルに解放するか。

歴史上、そんな社会はなかった。それはわれわれの歴史にインターネットがなかったからです。—

---------

①『退職した人の分を補うように人を採用するのではなく、ロボットが補っていけば人口が半分になったとき、半分は機械が支える社会を作れる』

②『これから20年くらいで機械化ボーナスを得ること』が次の取り組み課題

上記の様な「ビジョン(行先)」と「取組み課題と方策(行き方)」を明確にすることで、一気に力が合わさります。
それが可能な条件(人口減少、停滞経済、ロボット技術、国民性)が揃っています。

・一見矛盾したビジョンをどうやってコンピューテーショナルに解放するか?
・それを国民にどうやって納得してもらうのか?

特区や特別地域や特別大学を募集すれば、手をあげるところは多いでしょう。

そこには、人生100年時代の医療・AI技術、ロボット技術、次世代住宅等々が集まり、それは自然に恵まれた『場』にあります。

そして、それらは次々に更新され、「脳業」の次の時代の「興業」をも取り込んで、その次世代文化を世界に発信してゆきます。

そこには、イノベーションを伴って、様々な業種の連携が始まります。
日本先行の「新経済・新技術・新ライフスタイル・新価値・新特許」、そして笑顔が次々に生まれてくるでしょう。

あなたは、賛成されますか、反対されますか?

新価値創造研究所は、全面的な賛成を表明します。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一66

橋本元司の「価値創造の知・第213夜」:「落合陽一: 高齢化社会で経済成長する方法」⑨

2019年2月25日 その問題(社会)の現実を、より良いものへと「変える」ことが大切

日本はもう高齢化社会ではありません。『高齢社会』です。
皆さんがメディアから植え込まれた『高齢社会』のイメージはどうでしょうか。

・高齢化社会で人口が減少し、若い人の負担が増えていく
・年金制度が破綻する
・60歳定年ではなく、70~80歳まで働く

日本の人口分布は、昭和の時代はピラミッド型でしたが、それが逆ピラミッドになっています。
自分の次女の様な、平成生まれの若い人達から見ると、

「自分たちの未来が抉られている」

と思っても無理のないことでしょう。

落合陽一さんがその辺りをどの様に考えているのかを前夜に引き続いて加筆引用します。
---------

—(上記のことは)今見れば大きな間違いだと言えるでしょう。最初に言いましたが、われわれが社会でまず止めなくてはいけないことは、人が人の面倒をみること。
これが大前提です。
これはスケールしないしコストパフォーマンスが最悪です。今、われわれが取り組むべきは、人間ではなく機械に人間の面倒をどれだけ見させるか。
「機械に老人ホームの面倒を見られたら怖い」と言われます。でも考えてみてください。ウオシュレットでおじさんの手が下から伸びてきてお尻を拭いてもらったら怖いでしょう。

それがロボットアームにおむつ替えしてもらうのと、人間にしてもらうのとどっちが好きですか。ほぼ100%の人が「ロボットアーム」と答えるでしょう。
このようなことを本気で考えないといけない。それを考えれば明らかにコストは下げられます。ハードウェアコストは下がっていくし、ソフトウェアで安いハードもうまく動くようにできる。

なぜなら少子化というのは一人当たりの教育コストを上げられることです。つまり共有コストをどれだけ一人当たりにかけられるか。
逆に子どもが多い社会にはなかなかそれはかけられない。コンピューターで最適化して全員に教育を与えるのには実はコストはあまりかかりません。
人が少なければコストはかけられます。それはもっとクリエイティブなことにも同じことが言えるのです。—

---------

→「われわれが社会でまず止めなくてはいけないことは、人が人の面倒をみること」

これまで第205夜~212夜にかけて、特集『落合陽一×価値創造の知』を綴ってきましたが、それを前提とすると上記の考え方には全面賛成です。
そのことが可能な時代(3C:第109夜)になっています。。

ただ、ここで問題が生じます。
それは、それを仕事とする人達がいて反対されます。でも「人手不足」は深刻です。という矛盾です。

それは、「農業」が人手をかけていた時代から、機械化された時に人が必要なくなることと似ています。
多くの「サービス業」に人手不足が問題となっています。これを移民で補填するのは上策とはいえません。

ここでどの様な上手な転換ができるのかということが問われているのです。

最初は手こずりますが、これを「更新」していく知恵が求められます。
参考になるのが、第208夜に、待機児童も解消へ[2019/02/19]です。

高松市の4人の職員が入園希望者の割り振り作業の選考で約1ヶ月かかっていたものが、AI=人工知能で50秒で完了していました。
選考にかかる時間が短縮されることによって、より待機児童対策に時間を充てることができる。
という内容をご紹介しました。

重要なことは、
・「上位目的」
・それを元にして、どこに「時間を充てるか」
にあります。

その様な知恵を更新することが求められる時代です。
それは目の前の課題を「上限のある身体」で熟すのではなく、「価値」を創造する時代です。
その様に、教育も大転換していく必要があります。

繰り返しになりますが、上位目的である

「それは何のために?」

という『問い』が要(かなめ)となります。

上記については、「第156夜・『真の企業再生・創生』とは?」の中で、

・従来の「Know-How」から、「Know-Why」への転換

を綴っていますのでご覧になってください。

“問題(社会)の本質を「知る」だけでは意味はありません。なによりも、その問題(社会)の現実を、より良いものへと「変える」ことが大切なのです”

「知る(把える)」と「変える(変わる)」を繋いで実践することが重要な時代です。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一77

橋本元司の「価値創造の知・第212夜」:「落合陽一: Computational Diversity(計算機的多様性)」⑧

2019年2月24日 21世紀のキーワード

自分が仕事に精いっぱい働いていた20世紀後半は、「ハードウェア」を制した企業が勝っていました。
しかし今は、プリンターも6千円を切る価格で売り出され、通信絡みの「ハードウェア」は無料となっている商品が続出しています。
明らかに、ソフトウェアやエコシステムでコストを下げた人・企業が勝つ時代に突入しています。

ハードはソフトウェアのコピーとして出てきて、しかも「コストゼロ」でコンテンツをカスタマイズします。ここでいうコンテンツが物理世界に出力される「ハードウェア」です。
皆さんがお持ちの「スマホ」を観れば実感されるのではないでしょうか。

さて、本夜は、「21世紀のキーワードはComputational Diversity(計算機的多様性)だ」と考えている落合陽一さんが語った内容(谷口正和師匠主宰・文化経済研究会)の一部を引用して、「価値創造」との関係を綴ろうと思います。
---------

—そこで21世紀のキーワードはComputational Diversity(計算機的多様性)だと考えています。コンピューターを使ったコストダウンと全体最適的利便性が、僕らにどれだけ多様性のある社会を生み出すことができるのか、ということです。

例えば余剰コストや有休資産。ラクスル㈱は1台もオフセット印刷機を保有していない印刷会社で、全国の印刷会社のオンデマンド印刷やオフセット印刷機の非稼働時間を把握して、印刷会社の余剰印刷工程を安く借り受けることによって、高品質な印刷物を安価に提供しています。

Uberはタクシーサービスで、空いている車で人をピックアップして目的地に連れていく。Airbnbは家を貸す民泊サービス。またラクスルはトラック運送業者の空き時間を活用した荷物配達サービスハコベルを始めました。

このように今後は空いているインフラを余すことなく使い、Computationalにコストを下げ、それによって多様性を高める。こういった発達したインフラを持つ有休資産を活用するようなサービスモデルはあらゆるビジネスモデルで可能です。

空いている漁船、テナント、車椅子、ヘルパーさん、廃校もある。自動運転になったら、われわれは地価の低い廃村を丸ごと老人施設にアップデートしても良いわけで、規格化された老人ホームの空間の中で同じベッドで暮らすよりも、健康的だし、そして絶対に楽しいと思います。

われわれは計算機の上にある自由、そのような世界をどう作っていけるかがキーワードになると思います。減る人口は一人頭の教育コストの向上とエネルギー問題への解決を意味しています。—

---------

自分の身の回りのモノ(クルマ、住宅、プリンター、・・・)を観ても使われていない時間のほうが多いことに気づきます。

これまでは、『所有』することが価値と思っていたことが、第85夜(『深い知』=「抽象化能力」②)で綴ったように、『使用』すること、或は『在り様』までも考えさせられることが多い時代となりました。

「今後は空いているインフラを余すことなく使い、Computationalにコストを下げ、それによって多様性を高める。こういった発達したインフラを持つ有休資産を活用するようなサービスモデルはあらゆるビジネスモデルで可能です。」

さてさて、それは、どこから生じてきたことなのでしょうか。
それを第84夜(『違い』をつくる実践演習①)に記しています。
---------

—さて、私たちの生活環境を変えた「インターネット」の特徴を「インターネット的:糸井重里著(第36夜)」では下記3つを上げています。
①リンク
②シェア
③フラット
好むと好まざるとに関わらず、これらがライフスタイルや企業経営・地域経営の中に沁み込んでいることを認識することが重要です。

第4次産業革命、AIoTがそれを加速させます。それは、従来の「スタンドアローン(他に依存せず単独で運営する環境)」の環境とは真逆です。—

---------

「①リンク、②シェア、③フラット」という特徴を掴んでおくことでいろいろな変化、事象が読み解けます。

整理をしてみますと、「所有」の時代の背景には、「モノの不足」があり、そこでは何馬力、何ワット、何デシベルというように『性能』が重視されていました。
それが満たされてくると、次の充足は『機能』に移りました。生活空間には、使わない機能でいっぱいの機器が溢れていますね。
現在は、「モノからココロ」へと、よりインナーへの欲求に移っています。
それを表現すると

・性能 < 機能 <効能

となります。私たちは『性能』からではなく、『効能』から捉えていく時代を生きています。

そして、

・所有 < 使用 <在り様

是非、その目線で「Computational Diversity(計算機的多様性)」・「AIoT」・「第4次産業革命」をご覧ください。

さて、落合陽一さんとの質疑です。
Q. Computational Diversityの時代になったとき、幸せの形はどんなイメージをされていますか?

A.べき論で語るところ(時代の合理)と、べき論で語らないところ(合理性のない文化的許容度)を分けることがまず条件です。
時代の合理性で「やるべきだ」というテクノロジーは、たくさんあります。例えば自動運転は急務です。
さまざまなところで社会が高齢化し交通事故は多発しているので。でもべき論で語らなくていいものは文化的許容度だと思います。
「ラーメンがうまい」とか。文化的許容度をはっきり分ければ自分が幸せになれるところ。これをしっかり分けていくと個人の幸福度は見分けがつきやすいと思います。
コンピューターと人間を比較する問題ではないと思います。

上記が、皆様の将来に少しでもお役に立てれば幸甚です。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一88

橋本元司の「価値創造の知・第211夜」:「落合陽一: 人工知能の本質(/最適化・統計・創発)」⑦

2019年2月23日 「どうやって我々は本当の意味で、『近代』を脱していくか」

落合さんに最初にお会いしたのは、2017年5月でした。その時は、「Computational Diversity(計算機的多様性)」を語られてしました。
そして、前夜(第210夜)にご紹介した『日本再興戦略』(落合陽一著)の第3章に「人工知能と呼ばれているものの本質」があります。
本夜・次夜は、この「人工知能の本質」と「Computational Diversity(計算機的多様性)」の二つを絡めながら、「価値創造の知」につながる内容を綴っていこうと想います。

それでは「「人工知能と呼ばれているものの本質」を本文から加筆引用します。
---------

—これまでのインターネットは統一された「マス」だったのですが、今後、インターネットは個人化していきます。
その個別最適化のための関数の名称が、総じて「人工知能と呼ばれているもの」である、というのが僕の現状把握です。

「オープンソース」と「パーソナライゼーション技術」によって、我々一人ひとりの能力はインターネットという環境知能によって向上し、例えば一人ひとりが旧来のウェブサービスに匹敵するサービスをつくることも可能になっていくはずです。
そういった意味で、次のキーワードは、

「どうやって我々は本当の意味で、『近代』を脱していくか」

ということだと思います。それは人が働くことによってもたらされるボトルネックを解放していくことです。

みなさんは、「今は現代であって、近代でなないだろう」と言うかもしれませんが、法律の仕組みや教育プロセスなど、今の社会の統治法を決める仕組みは、過去150年間くらい変わっていません。
現代とは、マスが拡大しすぎて、人間の想像の限界を超えてしまった制御しづらい近代のことだと思っています。

これが現代化するには、「人間の再定義」(人間:生物学的な人間と機能的な人間・認知的計算機としての人間と社会的な人間を合わせた言葉として使用)と「コンピュテーショナルな考え方」が必要なのです。

---------

みなさんは、上記の「人工知能の本質」について、どのように感じられたのでしょうか?

昨年3月に、この「価値創造の知」連載の第124夜に、“『価値創造とイノベーションのあいだ』⑪「次元」の変化に適応する”を綴りました。
下に、その一部を抜粋しますが、その内容と上記を交差させることで共通点がみつかり、化合物ができるのではないでしょうか。

第124夜:世の中の「次元が変わる」から経営危機が訪れる(新価値創造研究所)
---------

—世の中の「次元が変わる」から経営危機が訪れるのです。

少しおさらいしてみましょう。
1880-90年代に栄えてきた企業が21世紀に入ってのきなみ凋落している姿は枚挙にいとまがありません。地方も銀行も同様ですね。
2000年の前と後では、経営環境が大きく変わり、思いもよらぬ競合相手も出てきました。それはリーマンショックの前からです。

市場や業界の境界が消滅しました。
本質は、「第115夜:インターネット的」に綴りました。「インターネット的」という3つの軸(リンク、シェア、フラット)が「世界と世間」(第80夜)を変えてゆきました。
さらに、『脳業』(第109夜)にシフトしています。その「世界と世間」が変わっているのに、それを用意しない、適応していない企業/地域が多くあるということです。

—前職の業界で言えば、もう従来の「製造業」のままでは隆々とした将来を描くのは難しい時代になっていました。
そしてそれは、多くの業界に及んでいます。

はっきりと『次元』が変わっていることを認識することです。

質的変化、次元変化が起きた時に、迅速にそれを察知して、それを乗り超える「WillとSkill」(第52夜、第63夜)を持って、企業革新していくことが『持続性』の条件です。
持続性には、「新顧客価値の創造」「イノベーション」「企業革新」が企業の能力として求められるのです。—

---------

「人工知能の本質」が次元が変わることの大きな原因の一つなのです。
トップとメンバーに求められるのは、「次元の変化」を内包した第122夜「想像力⇒創造力⇒構想力」です。

第93夜では、
・モノづくり⇒コトづくり⇒つながりづくり
・ハードウェア⇒ソフトウェア⇒ハートウェア
第109夜では、
・農業⇒工業⇒情業⇒脳業
・AIoT、Industory4.0
を図解等でご案内してきました。(第124夜)

さて、そのような時代のキーワードは何でしょうか?
それを、落合陽一さんは、「Computational Diversity(計算機的多様性)」と語っていました。

次夜は、「Computational Diversity(計算機的多様性)」と「価値創造」の関係を綴っていく予定です。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一99

橋本元司の「価値創造の知・第210夜」:「落合陽一: 日本再興戦略」⑥

2019年2月22日 「始まったばかり」

先月1月25日の落合陽一さんの『質量への憧憬』オープニングレセプションを拝見してから、そこにある風景から感じられるイメージを第205~209夜に綴ってきました。
それは、「デジタル側から見える質量への憧憬(ノスタルジア)」と「日本の方法」です。

そこには、
①「ワビサビ」
②「負の想像力」
③「余白の美意識」
④「農業→工業→脳業」
⑤「オモテナシトピア」
という「日本の方法」が明滅しています。

「デジタル」を「1・0」の世界で観るのではなくて、「心」や「想像」「創造」「日本の方法」というフィルターを通すことで、新しい世界を拓けるのではないかと確信しました。
本夜は、オープニングレセプションで感じたことと、『日本再興戦略』(落合陽一著)を結合するとどのような世界と世間が観えてくるのか、ということから綴っていこうと想います。

本文「はじめに」に、格別の問題意識と想いが凝縮されていますので、その一部を引用します。
---------

—このまま高度経済成長モデルに拘泥し、「欧米」という幻想を追い続けていては、日本は再興できません。
しかし、意識改革を行い、正しい戦略に則って動けば、日本を再興することは難しくありません。
我々はいつの時代もそれを行ってきたのです。明治にも昭和にも。そして、平成の次の元号の変化にも合わせてやりきらないといけないことでしょう。

僕の座右の名は
「変わり続けることを変えず、作り続けることをやめない」
ですが、最近気に入っているフレーズがあります。
「指数関数的成長にとって、全ての点は、いつでも始まったばかりだ」

人口減少は人類史上稀有な大チャンスです。テクノロジーを活用し、西洋的人間観を更新し、我々が刷り込まれた知識をポジティブに更新し、みなで更新していけば、日本の未来はきっと明るく、そして特筆的なグランドデザインとなるでしょう。
東洋の自然観はデジタル時代に新たな自然を構築するはずです。

我々の世代の次の一手で、日本のこの長きにわたる停滞は終わり、戦況は好転する。僕はそう確信しています。
バックグラウンドとビジョンを拡張し、世界に貢献する。
日本にとって、そして世界にとって、今ここが「始まったばかり」なのです。 落合陽一

---------

上記のエッセンスをまとめると、、
・工業時代の高度成長経済モデルから脱皮すること。(第111夜、第146夜)
・人口減少は人類史上稀有な大チャンスであること。(第42夜、第99夜、第146夜)
・東洋の自然観はデジタル時代に新たな自然を構築すること。(第180~188夜、第177~179夜)
・バックグラウンドとビジョンを拡張し、世界に貢献すること。(第57夜、第77夜、第147夜)

それらは、この「価値創造の知」連載で綴ってきたことと交差し、重複します。
(関係のコラムをアップしました)

さて、本分「はじめに」を読んだだけで、この本の『別格』がわかりますね。
是非、「日本再興」「価値創造の知」に関心のある、志のある方達がご覧ください。
それが、「始まり」です。

次夜も「日本の変革・再興」のために、「日本再興戦略」を取り上げます。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
枯山水00

橋本元司の「価値創造の知・第209夜」:「落合陽一: オモテナシトピア」⑤

2019年2月21日 超AI時代のトピア

前夜(第208夜)は、AIの進化に伴う「農業→工業→脳業」という時代の変化を綴りました。
「脳業」の次は何か、ということはどこかの夜に綴ろうと想いますが、そのような本気の「仮説」を持つことで、下記の『脳業』の意味が観えてきたりします。

さて本夜は、「超AI時代の生存戦略」(落合陽一著)のエピローグに記されているAIという『テクノフォビア』からの『ユートピア&ディストピア』をキーワードにして『オモテナシトピア』(橋本元司の造語)という世界をご案内しようと思います。
(『テクノフォビア[technophobia]』とは、【心】科学技術恐怖症.テクノ恐怖症.コンピューターの操作やメカニズムに慣れないため,心身が拒絶反応を起こすもの:現代人のカタカナ語辞典引用)

産業革命以降、それまでの自分たちの職業・仕事が「機械」に取って代わられることで歴史的に大きな反発がありました。日本でも第一次産業の農業等中心だっだ地方の次男坊、三男坊が都会に移動しました。自分の父親もそうでした。ある意味、集まった都会に受け皿の仕事があることで高度成長にも繋がりましたね。とてもラッキーなことでした。

さて、農業から工業に転換した時と、似たような同じような変化が今起こりつつあります。
それは、単純労働やホワイトカラーの仕事が、AIをまとった「ロボット」や「ソフトウェア」で代替される時代が到来しているのです。製造業も新サービス産業に変わっていきます(第77夜)。自動車産業もそこに向かっています。
問題は、
・それが従来の「機械(マシーン)」の様に「実体」がみえない、インビジブルなこと。
・物質から実質(バーチャル)へ、キュービタルへ
・シンギュラリティ:“人工知能(AI)が人間の能力を超える時点”を意味する言葉
・等々

つまり、第109夜に綴った『3Cの時代』
①C: Computer=脳(AI)
②C: Communication=神経系(IoT)
③C:Control=手足等(Industry)

の①C: Computer=脳(AI)に肉薄してきたからです。
それまでは、③C:Control=手足等(Industry)という工業時代だったのです。

上記①②③が出揃い、AIを纏ってくるのが、『脳業』環境という生態系(エコシステム)です。

自分もそうですが、皆さんの中にも「ターミネーター」「トータルリコール」「マイノリティリポート」等の映画で近未来を脳にインプットされて一種の恐怖を感じている方達も多いと思います。
「超AI時代の生存戦略」から加筆引用します。
-----------
「ああ、やっぱりテクノロジーに適応した人類は今より悪くなっている」
と言いたい気持ち、そういった感情をなぞることで頭の中だけテクノフォビアになる。
(原爆や化学兵器でも痛い目をみましたね)

—ケヴィン・ケリー氏の著作である『インターネットの次にくるもの』の中で、ケリー氏はユートピアとディストピアとは違った未来に「プロトピア」という名前を付けている。
(ギリシア語の ou (否定詞) と topos (場所) に由来し,どこにも存在しない場所,転じて,理想的社会,空想的社会の意。「無何有郷」などと訳される。ディストピアとは、「ユートピア(理想郷)」とは逆の社会である。反理想郷。暗黒世界)
人間が目指すところは、ユートピアでもディストピアでもなく、あるいは現状維持でもなく、「プロトピア」だと思う。

プロトピアとは、ほんのわずかであっても、昨日よりも今日よりもよい状態である。プロトピアを視覚化することはきわめて困難だ。なぜならば、プロトピアは新しい利益と同数の新しい問題を含んでいる。このような有用と崩壊との複雑な相互作用を予測することは非常に難しい。
プロトピアは、技術革新を繰り返す流動性によって徐々に良くなっていく世界観であり、自己組織化した画一的でない「まともなディストピア」の姿でもある。—
—今起こりつつある変化、真実ではなく意見の時代、これを一言で表すなら「人類の適応」と言えるだろう。
この変化をフラットに受け入れられるかどうかが、「ポスト真実(Post-Truth)客観的な事実や真実が政治的な選択において重要視されないという意味)」後の踏み絵になっている。この踏み絵はこの世界のいたるところで起こっていて、これを受け入れられない人々は発達したテクノロジーから感じる漠然とした異物感を
「それによってコミュニケーションの問題が生じているとくくりつける。
しかし私たちはもはやこの変化に適応して生きていくしかないのだ。あるべきだった世界は存在せず、皆が見た正義も存在しない。真実と虚構のバランスは等しくなった。いや虚構のほうが強いかもしれない。—
---------

それは、「技術」だけではなく、「政治」「経済・金融」等、さまざまな「トピア」(場所)に問題を起こしています。
それには、「物質」と「実質(バーチャル)」の間にある『本質』を共有することが肝要だと洞察します。
それには、人々の『心』が鍵(キー)になるのではないでしょうか。

大胆に云えば、それは主客一体の『おもてなし』(第2夜、第93夜)

「おもてなし」とは、下記の三位一体です。
①しつらい=ハードウェア
②ふるまい=ソフトウェア(メニュー・プログラム等)
③心づかい=ハートウェア(ヒューマンウェア)

「おもてなし」の代表格のお茶事の世界には「リアルとバーチャル」が融合していますね。
『趣向』を何にするのか、どこに向かうのかが問われます。
「AIの趣向」、方向づけが重要です。

さて第9夜に、「三つのエコロジー」(フェリックス・ガタリ著)を綴りました。
「人間は下記3つの世界(エコゾフィー)の中に生きている。
①地球環境   :物の公害
②人間社会環境 :社会の公害(テロ、離婚等)
③心の環境    :ストレス
これを別々に切り離すのではなく、三位一体で直視して展開すること」

「AI・AIoT」と「三つのエコロジー」は、切り離せない将来のテーマです。
この二つを融合することで、新しい価値や世界が見えてきます。。

『心(心のエコロジー)』を鍵にして、『おもてなし』を鍵穴にするのが「思考の補助線」「解決の型」になるように想います。
その解決のトピア(場所)が、「ユートピアとディストピア」の間にある『オモテナシトピア』(橋本元司の造語)

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
オモテナシトピア00

橋本元司の「価値創造の知・第208夜」:「落合陽一: 農業→工業→脳業」④

2019年2月20日 ビジネスの「戦いのルール」変更

ビジネスの「戦いのルール」は変わり始めています。
それは、第144~146夜『魅力がなくなるコト』をテーマに綴りました。

特に、第144夜の“「AI」「BI」「CI」って?”については、多くの方達がアクセスされています。
そこでは、「AI」「BI」「CI」と「苗代(なわしろ)的思考(第119夜)」についてお伝えしています。

特に、中心テーマは、「AI」(Artificial Intelligence、人工知能)です。
本夜は、「これからの世界をつくる仲間たちへ」(落合陽一著)で語られたAIのエッセンスを加筆引用しながら、首記の「農業→工業→脳業」と絡めて「価値創造」について綴ろうと想っています。

--------
「コンピューターと人間の違いを考えよう」

—コンピューターが得意にしているのは「総当たり戦」です。与えられた問題の答えやコンテンツのバリエーションを総当たりで探して、「最適解」をみつける。
「この電話番号を探せ」と命じられたら、分厚い電話帳のページを端から端まで全部サーチして見つけ出すようなものです。いわば単純作業ですが、人間にはできないスピードで淡々とやり続けられるのがコンピュータ。
(今朝のテレ朝newsで、AIで働き方が変わる 待機児童も解消へ[2019/02/19]では、高松市の4人の職員入が園希望者の割り振り作業の選考で約1ヶ月かかっていたものが、AI=人工知能で50秒で完了していました。選考にかかる時間が短縮されることによって、より待機児童対策に時間を充てることができるという内容でした)

—コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。
コンピュータには「これがやりたい」という動機がありません。目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理しますが、それは「やりたくてやっている」わけではないでしょう。

いまのところ、
・「人間社会をどうしたいか」
・「何を実現したいか」
といったようなモチベーションは、常に人間の側にある。

だから、それさえしっかり持ち実装する手法があれば、今はコンピュータを「使う」側にいられるのです。

逆に云えば、何かに対する強いモチベーションのない人間は、コンピュータに「使われる」側にしか立てません。
---------

全く同感です。
もう一歩話を進めると、
①コンピュータを「使う」側
②コンピュータとの「共存」
③コンピュータに「使われる」側

に整理できますね。

さて、この「価値創造の知」シリーズの第109夜に、首記の「農業⇒工業⇒情業⇒脳業の時代」を綴りました。
AI( Artificial Intelligence:人工知能)、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)、Industry4.0(第4次産業革命:製造業のデジタル化・コンピューター化を目指すコンセプト)という『I(アイ)』の入った言葉がメディアを賑わしています。
いったい、これをどのように把えたらいいのでしょうか?

という「問い」から、『3つのC』
・C: Computer=脳(AI)
・C: Communication=神経系(IoT)
・C:Control=手足等(Industry)
をご案内しました。
その「脳業(AI)」と「3C」について、24年前の1995年に前職・パイオニア社内で発表しました。

さてさて、一番のポイントは、そのことで「ビジネスやライフスタイルのルールが大きく変わる」ということです。
産業革命以前は、「農業」環境の時代でした。
産業革命以降は、「機械(工業)」環境の時代でした。
それぞれ、それは目的ではなく、その手段をベースにしていました。ここの認識が重要なのです。
(さらに、第2夜、第20夜、第86夜、第93夜で綴った日本のお家芸である『おもてなし』(ハードウェア・ソフトウェア・ハートウェアの融合)の出来がそれにかかってきます)

そして今、「脳業(AI)」を手段にして、ビジネスやライフスタイルが変わる時代の入口を跨いだところに私たちはいます。

「脳業(AI)」環境に否が応でも包まれるということをしっかり認識することが重要です。

大事なことは、農業も、工業も、脳業もあくまでも「手段」だという認識です。
その環境の中で、『人』、『日本人』として、どのような「目的」「志」「使命」を持つのかということが肝要です。
(目的がない人生、目的がない日本にしたくありませんよね)
そのように上位に立つことで、AIの「使い道」が観えてきます。それがなければ、AIに「使われる」側になってしまうのです。

どちらが、「人」として『幸せ』ですか。

「学校教育」「企業」「地域」「日本」の再興に必要なことは、その認識と変革です。
それは、新価値創造研究所の提唱する、「価値創造の知」の第一法則と第二法則です。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
落合陽一01

橋本元司の「価値創造の知・第207夜」:「落合陽一: 余白の美意識」③

2019年 「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」

第205~206夜に、落合陽一さんの「デジタル側から見える質量への憧憬(ノスタルジア)」を綴りました。
そこに見え隠れするのは、「負の想像力」「ワビサビ」でした。それは、「余白・余韻」と深く関わるものでした。
そこで、片方に「デジタル」を置き、もう片方に、「余白・余韻」を置いて結びつけた時に何が未来に現出するのかに関心を持ちました。

その「余白・余韻」ですぐに思いつくのが、「心にてふさぐべし」でした。
それは、松岡正剛師匠主催イベントの連塾(方法日本Ⅱ・第五講)のテーマである「日本美術の美意識」にありました。。
そこの副題は、

「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」(画人:土佐光起)

その第五講から加筆引用します。

---------
---昭和17年に、板崎坦が『日本画の精神』を書いて、この光起の言葉に注目して、次の様に綴ります。
「この白紙をさへ描写以上の描写とする尊むべき省略法は日本画独特の技法であり、又この中にこそ本邦画論創始者の思ひをふくますべしといふ意味が潜んで居るのである」と。
ーーー
さて、では、この「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」とは、どういうものなのでしょうか。
普通に想像すると、これは余白の多い絵のことかなと思いますね。むろん、それもあります。ヨーロッパの絵画はルネサンスから印象派まで、びっしりと画面を埋めていますし、人物画の多くも背景を描き込みます。
それに対して日本の肖像画は、藤原隆信の『源頼朝像』などの似絵がそうですが、背景がない。それだけでなく大和絵の歴史はしだいに余白を持つようになり、長谷川等伯の『松林図』などでみずみずしいほどの余白を描きました。ーーー
---------
長谷川等伯の『松林図屛風』については、第85夜「深い知」に綴りました。
---------
—もう少し説明します。これは、「第33夜・禅と価値創造③」の内容とダブります。日本人がもっとも得意としているのは「引くこと」。
アルコールフリーのビール系飲料は「ビールからいちばん大事なアルコールを抜いた」ものだし、NHKのアンケートで「見たい国宝」の1位になった長谷川等伯の『松林図屏風』は西洋画のようにびっしりと描き込むことがなく、見る者がその世界に入り込める余白が設けてあります。
龍安寺石庭に代表される枯山水は「水を感じる」ためにあえて水を抜いてある。カラオケもまた「歌=ボーカル」という大切なものを抜いたことで大ヒットし、ひとつの文化となりました。
これらはすべて「禅の思想」。執着や先入観といったものを取り払う、あるいはいちばん大事なものを手放す。そうすることで『深い知』=「抽象化能力」が身につきます。—
---------

写真は、九品仏・浄真寺の枯山水ですが、『負の想像力』のその人のレベルによって感じ方は変わってきます。
自分でも、朝早くや夕暮れ、或は春夏秋冬や自分のコンディションで変わってくることを経験してきました。

「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし」

カラオケもボーカルがなくなり、白紙の状態と同じです。
そこに、自分の想いや祈りを込めて、心を使っているのではないでしょうか。

「行間を読む」

というのも同じですね。

さて、私たちのテレビとの付き合い方を見てみましょう。
仕事で疲れて帰ってきて、もう神経を、頭を使いたくないのですね。頭を使わなくていいように制作されています。
翻って、詩・俳句・小説やオーディオは如何でしょう?

オーディオにはビジュアルがないので「想像力」を働かせることが必要です。
詩・俳句・小説では、さらにもっと「想像力」と「知性・感性」を働かせることが必要です。
そこに『豊かさ』があります。

『デジタル』の進展で、五感により近いコンテンツが届くようになりました。それは素晴らしいことです。「デジタル」の先には「キュービタル」(第40夜、第205夜)があります。
ただその反面で、私たちの「感性・知性・心性」は鈍ってきたのは事実です。ここが大問題ですね。

『デジタル/キュービタル』と『余白・余韻』を新結合(第32夜、第75夜)するところに新しい価値が生まれてきます。
それは、第17夜(「間(ま)」と「創造」)の価値創造ダイアグラムにA(『デジタル/キュービタル』)とB(『余白・余韻』)を置いて、③STRIKE を導き出します。
その時に必要なのは、①問題・課題という意識、②大切なコト、③物語 です。

これを洞察してみると幾つかの将来・未来が観えてきました。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
枯山水00

橋本元司の「価値創造の知・第206夜」:「落合陽一: 負の想像力」②

2019年2月16日 桃の節句:祈りとノスタルジア

昨日、姫孫の初節句に向けて写真の親王官女を飾ってきました。
長女が生まれた時のお雛様が孫に引き継がれました。
そこには、桃の節句の伝統の雅さ、華やかさと、健やかに成長して欲しいと願う祈りがありました。

さて、前夜(第205夜)では、落合陽一さんの『質量への憧憬』というテーマについて触れました。
--------

きっと今の時点での僕は、ここに右脳で捉えたい世界があって、それは質量とデータの間にあるある種のノスタルジアなのだ。憧憬でもある。---
「質量への憧憬」の目指す先は祈りだ。
祈りは実行と形を持たないソフトウェアアップデートだ。精神のチューニングと出力の連続活動かもしれない。---

ーーーーーーーー

そのオープニングレセプションに観えたのは、「無常」「祈り」であり、「wabisabi(詫び寂び)」でした。
その視点で観ると、首記の「お雛様」はどうでしょうか?

そこには、デジタルデータにはない「質量」があります。
そして、出来上がった瞬間から朽ちていく「はかないもの」「フラジャイルなもの」であります。

その「無常」「非定常」に祈りを捧げていく。

それを「無駄」と把える人もいれば、それこそが、「人生の豊穣」と結びつけている人もいます。

ただ人形があるだけでは意味はありません。
そこに桃の節句という過去・伝統と子どもの成長という未来へ「想い」を馳せる、祈るということが込められているということにあります。
デジタルの先のキュービタルの時代(第205夜)には、「節句」というものがこれまで以上の脚光を浴びるかもしれませんね。

さてさて、「wabisabi(詫び寂び)」です。

「ワビサビ」とは上記の「朽ちていく」「欠けていく」「不足している」という「負」の中に想像力を発揮することです。
そこでは、対象が主役ではなくて、対象と自分が「主客一体」となること。

例えば、前職・パイオニア社でかかわった「カラオケ」を見てみましょう。
本来は、フルオーケストラなのに、スターが歌っていた「ボーカル」を抜いてしまった。

その欠けた中に、負の中に、自分(たち)の想像力が自由自在に入り込むのです。
それって、どこかに似たような構図がありましたね。

「枯山水」(第3夜、第170夜)「長谷川等伯の松林図屛風」(第85夜)・・です。
第190夜「芭蕉の知:蕉風開眼の句」も同様です。
それは、受け手側が主人公となって『余白』を任せられるのです。

これからの時代、質量がなく、エイジングのない「デジタル」が私たちの生活環境に根付いています。
それだからこそ、物質性・精神性を伴う「ワビサビ」という美意識が螺旋的発展で脚光を浴びると想います。

そう、その視点・視座が『日本の再興』に繋がってくるという核心・確信があります。
その「本来と将来」を共有して、是非、そこからの革新(『日本の再興』)を実践してゆきましょう。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
IMG_3620