橋本元司の「価値創造の知」第329夜:出来ない理由が100あっても、出来る道が1つあれば必ず出来る

2024年12月9日 小布施に起こったイノベーション

松岡正剛師匠の未詳倶楽部で、2000年に長野県小布施町に行きました。
[小布施は、浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)の専門美術館があることで有名です]
小布施堂の桝一市村酒造場を訪問してお会いしたのが、“セーラ・マリ・カミングス”さんでした。

セーラさんは、外からの目線で“小布施”に『イノベーション(バージョン2.0)』を起こしました。
 “異邦人イノベーター”として町おこしに挑戦されている只中でした。
その活動をお聴きして、小布施の魅力アップを体験するために家族を帯同して何回も小布施を訪れました。

さて、それから10年後の2014年8月、第72回文化経済研究会の講演登壇で、再びセーラさんにお会いしました。
2000年訪問時の小布施バージョン2.0から、バージョン3.0、4.0と引き上げられていた内容でした。
素晴らしいです。

 2014年当時のセーラさんのプロフィールです。
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●●セーラ・マリ・カミングスさん
1991年関西外国語大学交換留学生として初来日。1993年ペンシルバニア州立大学卒業
後、長野五輪に憧れ再来日。1994年㈱小布施堂入社。1998年㈱桝一市村酒造取締役に
就任。小布施を中心に燻瓦や茅葺きの復活、蔵の改装など景観を活かした町づくりを
してきた。町を挙げた「小布施見にマラソン」や月に一度講師を招いて行う「小布
施ッション」などのイベント企画も行っている。また日本の食文化にも興味を持ち、
木桶仕込みの復活や、酒造を改装したレストラン「蔵部」の設立も行ってきた。2001
年『日経ウーマン』誌が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」大賞受賞。2006年
㈱桝一市村酒造場代表取締役に就任(2013年同社取締役)。2008年地域づくり総務大
臣賞個人賞受賞。2013年小布施堂を卒業。㈱文化事業部の拠点を長野市若穂へ移し、
里山を活かした「かのやまプロジェクト」を新たに企画している。NPO木桶仕込み保
存会代表理事。
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 ⇒廃業寸前だった創業250年の老舗造り酒屋・桝一市村酒造場を再建されました。
文化サロン、マラソン大会など次々と開催し、町の人口の100倍もの観光客が訪れる町にしました。
 それらの功績から「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」大賞を受賞。
伝統を活かしながら新しいことに挑戦(面展開、バージョンアップ)されてきました。

 “その着眼力と行動力には学ばされる”ことがいっぱいありました。
是非、自分・自社・自地域のバージョンアップ目線に置き換えてご覧ください。
ヒント満載です。

■ 『外の目』・『切実』・『危機感』
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◆憧れの日本が消える、何とかしなきゃ!
・・・たまたま冬季オリンピックの5年前から長野に来ていたこともあり、せっかくなので信州にたくさんあるおいしい蔵元さんへ行ってみました。
でも当時は酒蔵が消えそうな状態で危機感を持ちました。

「このままでは5年後、10年後には半減するのではないか」

と。日本の残って欲しい姿がドンドン消えてしまうので

「ちょっと待った! 誰かが何かをしないと」。

 確かに日本の消費者は高齢化が進み若者は減少していますが、世界中の方々が日本酒を好きになったら、かつてない広がりが見込め、むしろ明るい未来に向けて走れるの
ではないかと思いました。
 当時、皆さんはマイナス目線でした。

 『競争相手は増える、若い人に日本酒はダサイと言われる』と。

 私はそれをマイナスと見ず、むしろそれはすべて土台、基盤であり、そこからどのようにプラスにしていけば良いかを考えました。
日本酒の仕事をするために日本に来たつもりはありませんが、日本にしかない文化が消えていくのは寂しく、見ていられませんでした。

「何かしなきゃ」という気持ちが湧いてきました。

 たまたま利き酒師の西洋人第1号になったので、全国の酒造蔵を訪ねてみると、木桶仕込みを辞めてしまっているなど失いつつあるものの存在を知りました。
それは進歩ではなく損ではないかと考えました。
 戦後の短いスパンで考えると時代に流されてしまったのかもしれませんが、3~400年というアメリカの国よりも長く続いていることを考えると、

 「昔はどうだったのか」、
 「今はどうなのか」、
 そして
 「100年先のあるべき姿はどうか」

地球の裏側から来た者として、『日本の独特なもの築いてきたものを消さずに、出来ることなら繋げていきたいな』と思いました。
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 セーラさんは、ドナルド・キーン氏やエバレット・ブラウン氏の様な『現代のフェロノサ』に見えます。
「異邦人の目」が、日本をイノベートしてくれました。

 さて講演では、下記の実績項目を次々に紹介されました。
私は何回も小布施を訪れていたので、地域ぐるみの素晴らしい成果の数々を実感できました。
「百聞は一見に如かず」です。
やはり、自分の「身体」・「心」・「脳」に刻み込むことがイノベーション発揮の早道です。

[数々の成果]
■非日常が日常を引っ張る
■燻瓦の蔵で食す寄り付き料理「蔵部」
■小布施ッション
■小布施見に(mini)マラソン
■「変わら(瓦)なくちゃ!」
■餅ベーション
■日本独自の発酵文化
■率先垂範で成し遂げた実績
 ・【傘】
 ・【スクウェア・ワン(原点に帰る)】
 ・【桝一客殿】
 ・【木桶仕込みと農業】
■「かのやま」プロジェクト

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■小布施見に(mini)マラソンでは、
・・・『架け橋を作れれば道は開けます。出来ない理由が100あっても、出来る道が1つあれば出来る』
 その道をみんなで作ろう、道がなければ橋を架けよう、出来ないはずがない、と信じました。
当時は28ある自治会の会長さん全員がOKしないと開催は出来ないと警察に言われたのですが、私は逆に近道だったと思います。
一斉にみんなが知るので、後から聞いていないとか、誰かが先に聞いた等はなくスムーズに全員に知らせることが出来ました。
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■苦労の中で、1番重要視したことは?
 ・・・目標を立てて熱意や決意を持って走っても、嵐に遭ったりゴールが見えないこともあります。
でも信じることが大事。信念を持てば波に振り回されません。
 また北斎も励みになりました。
 『90歳まで進化しインスピレーションを持ち、新しいスタイルをドンドン確立した人』です。
若い時はチャレンジすることがすごいと思いましたが、今、母親になり、4歳の子どもがいます。
どんな暮らしをしながら子どもを育てたいか、自然にチェンジしていくこともあります。
チェンジ出来なくても、その時ベストを尽くすことだけはします。
人のことは出来ませんが、自分のことはベストを尽くせば、それ以上のことは出来ないし、それ以下のこともしたくない。
そして良いことを言えないなら、何も言うな! ということです。人の悪口は絶対に言わない。
マイナスを言えばマイナスになりますが、欠点があればそれをどうすれば良く出来るかだけを、前向きに考えて生きていきたいと思っています。
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 それでは、小布施イノベーションの「2+1」をアップしますが、、
その前に、「ルネッサンス」と「バロック」の違いを知ると、理解がすすむと思いますので、松岡正剛「日本数寄」より引用します。
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 ・・・ルネッサンスとは、中心を一点にもった正円の世界である。(⇒「2+1」の「A」)
日本でいえば長次郎の楽茶碗にあたる。
それは人間の手がもたらす造形の完成をめざして深くて尊いものである。・・・
 これに対して、バロックとは、そうした完成の究極をいったん離れ、あたかも楕円が2焦点をもっているように、むしろ自在な多元性を求めて、あえて『逸脱』を試みて歩みだした様式をいう。(⇒「2+1」の「B」)
 バロックという言葉も「歪んだ真珠」を意味するバロッコから派生した。これは、つまりは織部の沓形茶碗なのである。
・・・
 いま、日本は漠然としすぎている。
疲れているわけではない。
一部には熱意もある。
 ところが何かが発揮されないまま、すっかり沈殿したままになっている。
歴史と現在が大胆に交錯しないからである。
 日本は漠然ではなく、もっと揮然としたほうがいい。
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  「昔はどうだったのか」、
 「今はどうなのか」、
 そして
 「100年先のあるべき姿はどうか」

 行き詰まった時は、『逸脱』が求められます。
「漠然」ではなく、もっと『渾然(別々のものが一つにとけあって、差別のないさま)』とする。

 セーラさんは、異邦人の目線で、ルネッサンス(A:半分)からバロック(B:半分)に挑戦されて『渾然』を実現されました。
「日本の独特なもの築いてきたものを消さずに、繋げていきたい」という想いが強いモチベーションです。
そこに、新しいスタイルをドンドン確立した「葛飾北斎」が励みになったことも語られました。
 そして、葛飾北斎と同様に『別様』を創られました。

『切実』 ⇒ 『逸脱』 ⇒ 『別様』

です。

・「異邦人の目」を持つにはどうしたらいいか
・ そして、それは「バロック」につながります

 『価値創造/イノベーション』の大きなポイントですね。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ