橋本元司の「価値創造の知」第333夜:『虚に居て実を行ふべし』

2024年12月17日 「松尾芭蕉」と「空即是色」

前夜は、“ here → there → another ”と“色即是空 空即是色”との関係を図解でご覧いただきました。この図解が、『価値創造』に至る本筋でありセオリー(体系的な枠組み・モデル)です。
 そして、この具体的に見立て、仕上げるのが、新価値創造研究所オリジナルの『3つの知(深い知・高い知・広い知)』(第89夜、第128夜)になります。

 その見立て、仕上げで“肝要”なのが、
・『現実+心』が「二つでありながら一つ」(本夜)
・「3つの抽象化能力」(第89夜)
・『切実』 ⇒ 『逸脱』 ⇒ 『別様』(第322夜)
・「覚悟」「数寄」(第331夜)
・「新しい物差し」(第323夜)
・「異邦人の目」(第329夜)
・「経営」とは何か?:あり方とやり方(第321夜)
・「未常識」(第319夜)
・・・

 昭和の時代はやることがわかっている、到着先まで「レール」が敷いてある「鉄道の時代」・「オペレーションの時代」でしたが、
令和の時代は、そのレールがない「航海の時代」・「イノベーションの時代」になっています。
これまでの教育は、追いつき追い越せの「オペレーションの時代」向けのものでしたが、現状を見渡せばわかる通り、「新しい価値を創るイノベーション」の教育に早急にチェンジしなけばなりません。
 その心得と方法が分からないのが問題です。

 現状から積み上げる延長線上の未来では、企業・地域・学校がうまく行かないことは皆さん認識されています。
視点を変えて、「10年後のなりたい姿から逆算する」バックキャスティングが求められています。


そのモデルが「大谷翔平」の高校時代のマンダラチャートです。後述の内容(虚・大元・there)にも深くリンクしてきます。
 これをわたしを含む「2030SDGsファシリテーター仲間」がお伝えしています。

 さて、『価値創造』には、目に見えない“心の動き・変化・想像性”が大きな役割を持っているコトをお伝えしてきました。
表面的な知識・教育やテクニックでは、「イノベーション」に立ち向かえない、引き寄せられません。
 そこには、志・大義・覚悟・ミッション・ビジョンという目に見えない(インビジブル)ものが推進軸にあることです。
そしてそれは「学校」「企業」「自治体」では、正面切って教えてくれていない、系統だてて教えてくれない、セオリーが示せないコトが課題です。
 ただ、一昨年くらいから、自治体や企業から「アントレプレナーシップ/スタートアップ」の講座・研修に呼ばれることが多くなったことが変化の兆しです。
 
 「価値創造の知」で綴りましたが、最も参考になるのが、iPhoneを世に送り出し、世の中を変えた“スティーブジョブズ”の「価値創造」の本質(第157夜、第165夜、第320夜)と「生き様」です。是非、体系的に学び・まねぶことをお薦めします。

 日本は、いつまでたっても「オペレーションの時代」にとどまっている経営者が多いことが、日本の停滞を招いた大きな要因です。
「イノベーションの知」「価値創造の知」を時代を切り拓く人たちにお伝えしたくて、このコラムを書き続けています。

 その上で、本夜のテーマ『虚に居て実を行ふべし』です。

 2018年、仙台方面に「知の旅」である「未詳倶楽部」に出遊しました。


その二日目に、芭蕉が辿った塩釜から舟で日本三景松島に着いたルートを正剛師匠と愛でました。

 芭蕉が「おくのほそ道」に記すことはありませんでしたが、芭蕉の句に
「島々や千々に砕きて夏の海」
という松島を詠んだものがあります。
東日本大震災のことが頭をかすめながら、それが重なりました。

 そこで正剛師匠が語ったのが、

・「実に居て虚にあそぶことはかたし、虚に居て実を行ふべし」
 という松尾芭蕉の言葉です。

 その時、私は船の上で、芭蕉の「虚」が「空即是色」(第332夜)の「空=大元(おおもと)」とイコールに聴こえたのです。

・ 実(here・色)に居て虚(大元・there・空)にあそぶことはかたし
・ 虚(大元・there・空)に居て実(here・色)を行ふべし

 「現実(実=色=here)と「心・おおもと(虚=空=there)」がつながった瞬間です。

 改めて、価値創造のセオリー(体系的な枠組み・モデル)を図に表します。

 上部の「所有」「使用」という“やり方”が上部で、私たちが認識できる「顕在意識」の領域です。
そして、下部の「あり様、あり方」が大元である“あり方”です。
 「オペレーションの時代」の領域は、左上半分で“やり方”中心でよかったのです。昭和の時代です。
そして、従来の延長線上の“やり方”で行き詰っているのが、平成から現在です。
「失われた30年」とも言われています。

 「イノベーションの時代」は、「潜在意識」「空意識」の下部を“探求する”“創(きず)つける”“掘り当てる”ことが求められます。(第332夜)
私も30代前半に、「瞑想」の門をたたきました。(第6夜、第33夜)
そこで驚いたことは、多くの経営者が、「瞑想」「禅」を取り入れるために通っていたことです。

『禅(ZEN)』の修行で一番大切なコトは何だと思いますか?
 座禅の姿勢は、「結跏趺坐(けっかふざ)」という右足と左足を組んでいますね。
この姿勢は、『二つではない、一つでもない』という「二元」性の「一者」性を表わしています。
それは、「二つ」にならないということにあります。
一番大切なコトは、“二つでありながら一つ”ということです。(加筆引用:禅マインド)
これまでずっとお伝えしてきた「2+1」です。

 「空・虚・大元(おおもと)」の意識領域で、「あり方・あり様」とつながると、
それが、ミッションになります。
そこから、「新しいやり方」「新しい現実」「ビジョン」が見えてくる。
それを実行・実践するのが「イノベーション」という流れです。

 ここでは、言葉ではなかなか伝わりづらい、響きづらいので、それを
「旭山動物園」等の演習で疑似体験してもらいます。(第28夜)(SDGs経営塾 第6回)

[左上領域:これまでの現実、常識、目的]
・2000年、動物園の来園者数は右肩下がりでした。
・珍獣、奇獣の「パンダ」や「コアラ」で、何とか来園数を上げる「やり方」でしのいでいましたが、それでも右肩下がりでした。
[下部領域:大元・空・虚]
・ここに、旭山動物園の坂東元・獣医係長(後の園長)が登場します。
・普通の動物の“命の大切さ”を子供たちに伝えたい(=あり方、在り様、未常識)
[右上領域:新しい現実、新しいやり方、新しい目的]
・形態展示から行動展示へ
・SDGs対応

 ここで重要なことは、経営の“あり方(目的)”が変わることで、“やり方(手段)”が変わることです。
それまでの「形態展示」から、「普通の動物の“行動展示”」というやり方に転換しました。
そのことで、右肩下がりの来園者数が急激な右肩上がりになり、旭川市を含めて経済価値(利益)が上昇しました。

 旭山動物園が掲げる永遠のテーマは、「伝えるのは命」(図2)です。


そこには、坂東さんが獣医として“動物の命”の大切さにずっと寄り添ってきたことが込められています。そのテーマによって、これからの時代の主役になる子どもたちが、動物たちの未来や地球の未来を真剣に考える場所になっています。


  ここに、「価値創造」「成長経営」の大きなヒントがあります。
「経営」の“経”という字は、縦糸のことを表しています。“経”という縦糸(あり方)と“営(いとなむ)”の横糸(やり方、行動)で織物が紡がれます。


 経営が行き詰っている時は、それまでの横軸の“やり方”が行き詰っていることが多いものです。是非、そのような時は経営の縦軸の“あり方”(目的、道理、大元)に目を向けて、再定義することにトライされてください。

図中の「価値創造」の流れがみえてきたのではないでしょうか。
・行き詰まり → 大元・空・虚 → 新しい成長
・ 切実       逸脱       別様
・ 本気       本質      次の本流

[まとめ]
・ 実(here・色)に居て虚(大元・there・空)にあそぶことはかたし
 →左上の領域(いまの現実)にいても、虚(大元・there・空)に向かわなければ、新しい現実は見つけることができません。
 →「やり方」で行き詰まります
・ 虚(大元・there・空)に居て実(here・色)を行ふべし
 →左上領域から下部領域(あり方、虚・大元・there・空)に到達して、右上領域(新しい現実、新しいやり方)に向かうのがイノベーション(価値創造)です。
 →日本の成長の源流になります。


松尾芭蕉が、「イノベーション/価値創造」のセオリーを示してくれていたのです。
 第308夜以降、これまでお伝えしてきた下記の方たちは、「あり方・あり様・大元」を探求、洞察、実践されてきた格別・別格の「イノベーター」です。
是非、参考にされてください。

・「15代樂吉左衛門氏」(第330~331夜)
・「セーラ・マリ・カミングス氏」(第329夜)
・「伊藤明氏」(第328夜)
・「中川淳氏」(第327夜)
・「隈研吾氏」(第326夜)
・「佐野陽光氏」(第325夜)
・「山口絵里子氏」(第324夜)
・「谷口正和師匠」(第323夜)
・「スティーブジョブズ氏」(第321夜)
・「坂東元氏」(第313夜)
・「成松孝安氏」(第316夜)
・「松岡正剛師匠」(第308夜)
 
「参考]
俳諧を俳句に変えて、日本文化にまで高めた別格の革新者である「松尾芭蕉」にはやはり学ぶことがいっぱいあります。(第34夜、第175夜、第190夜)
NHK「100分de名著 松尾芭蕉」の俳人「長谷川櫂」さんの解説から加筆引用します。 
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・古池や蛙飛こむ水の音

「蕉風開眼の句」と呼ばれる古池の句以前の俳句はどのようなものだったのでしょうか?
古池の誕生のいきさつを門弟の支考が「葛(くず)の松原」に書き残しています。
それによると本来この句は上中下が一度に出来たのではなく中下が先に出来たと言うのである。

つまり先に「蛙飛びこむ水の音」ができ、さあ、上の五文字を何としたらよいかと暫し思案があって、その場に居た弟子の其角が「山吹や」としたらどうですか、というのを芭蕉は敢えて「古池や」と書いたとか。
この句の完成が、芭風開眼と言って芭蕉が旧風を脱して自らの句風に目覚めた瞬間だと言います。

つまり、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句なのです。
つまり、現実と心の世界という次元の異なる合わさった『現実+心』の句であるということになります。
この異次元のものが一句に同居していることが、芭蕉の句に躍動感をもたらすことになります。

それは、それまでの言葉遊びにすぎなかった、貞門俳諧や談林俳諧の停滞を脱して、心の世界を打ち開いた句であった。
それまでだったら、蛙は鳴くものであり、取り合わせは古池ではなく山吹だった。
現に芭蕉が「蛙飛こむ水の音」という中七下五を得たとき、傍らにいた其角は「山吹をかぶせたらどうか」と意見を言って芭蕉に却下される。
山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実(じつ)也。実は古今の貫道なれば、と。
「虚に居て実にあそぶ」が芭蕉の風雅だ。
俳諧が古代から心の文学であった和歌に肩を並べた、俳句という文学にとっての大事件だったと、長谷川は書いています。

心の世界を開くことによって主題を変遷させ、音域を広げ、調べを深めていく。
そして数年後、芭蕉は「古池や」の流れに繋がる句を作りたくて「みちのく」を旅する。即ち「奥の細道」である。
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はるか古代から日本文学の主流は和歌でした。その和歌は発生以来、一貫して心の世界を詠んできました
人の心を詠み続けてきた和歌に対して。言葉遊びの俳句が低級な文芸とあなどられていたのは当然です。
そうしたなかで芭蕉が古池の句を詠んで俳句でも人の心が詠めることを証明したのです。

そこに、「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句」を開拓しました。
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価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ