橋本元司の「価値創造の知」第329夜:出来ない理由が100あっても、出来る道が1つあれば必ず出来る

2024年12月9日 小布施に起こったイノベーション

松岡正剛師匠の未詳倶楽部で、2000年に長野県小布施町に行きました。
[小布施は、浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)の専門美術館があることで有名です]
小布施堂の桝一市村酒造場を訪問してお会いしたのが、“セーラ・マリ・カミングス”さんでした。

セーラさんは、外からの目線で“小布施”に『イノベーション(バージョン2.0)』を起こしました。
 “異邦人イノベーター”として町おこしに挑戦されている只中でした。
その活動をお聴きして、小布施の魅力アップを体験するために家族を帯同して何回も小布施を訪れました。

さて、それから10年後の2014年8月、第72回文化経済研究会の講演登壇で、再びセーラさんにお会いしました。
2000年訪問時の小布施バージョン2.0から、バージョン3.0、4.0と引き上げられていた内容でした。
素晴らしいです。

 2014年当時のセーラさんのプロフィールです。
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●●セーラ・マリ・カミングスさん
1991年関西外国語大学交換留学生として初来日。1993年ペンシルバニア州立大学卒業
後、長野五輪に憧れ再来日。1994年㈱小布施堂入社。1998年㈱桝一市村酒造取締役に
就任。小布施を中心に燻瓦や茅葺きの復活、蔵の改装など景観を活かした町づくりを
してきた。町を挙げた「小布施見にマラソン」や月に一度講師を招いて行う「小布
施ッション」などのイベント企画も行っている。また日本の食文化にも興味を持ち、
木桶仕込みの復活や、酒造を改装したレストラン「蔵部」の設立も行ってきた。2001
年『日経ウーマン』誌が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」大賞受賞。2006年
㈱桝一市村酒造場代表取締役に就任(2013年同社取締役)。2008年地域づくり総務大
臣賞個人賞受賞。2013年小布施堂を卒業。㈱文化事業部の拠点を長野市若穂へ移し、
里山を活かした「かのやまプロジェクト」を新たに企画している。NPO木桶仕込み保
存会代表理事。
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 ⇒廃業寸前だった創業250年の老舗造り酒屋・桝一市村酒造場を再建されました。
文化サロン、マラソン大会など次々と開催し、町の人口の100倍もの観光客が訪れる町にしました。
 それらの功績から「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」大賞を受賞。
伝統を活かしながら新しいことに挑戦(面展開、バージョンアップ)されてきました。

 “その着眼力と行動力には学ばされる”ことがいっぱいありました。
是非、自分・自社・自地域のバージョンアップ目線に置き換えてご覧ください。
ヒント満載です。

■ 『外の目』・『切実』・『危機感』
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◆憧れの日本が消える、何とかしなきゃ!
・・・たまたま冬季オリンピックの5年前から長野に来ていたこともあり、せっかくなので信州にたくさんあるおいしい蔵元さんへ行ってみました。
でも当時は酒蔵が消えそうな状態で危機感を持ちました。

「このままでは5年後、10年後には半減するのではないか」

と。日本の残って欲しい姿がドンドン消えてしまうので

「ちょっと待った! 誰かが何かをしないと」。

 確かに日本の消費者は高齢化が進み若者は減少していますが、世界中の方々が日本酒を好きになったら、かつてない広がりが見込め、むしろ明るい未来に向けて走れるの
ではないかと思いました。
 当時、皆さんはマイナス目線でした。

 『競争相手は増える、若い人に日本酒はダサイと言われる』と。

 私はそれをマイナスと見ず、むしろそれはすべて土台、基盤であり、そこからどのようにプラスにしていけば良いかを考えました。
日本酒の仕事をするために日本に来たつもりはありませんが、日本にしかない文化が消えていくのは寂しく、見ていられませんでした。

「何かしなきゃ」という気持ちが湧いてきました。

 たまたま利き酒師の西洋人第1号になったので、全国の酒造蔵を訪ねてみると、木桶仕込みを辞めてしまっているなど失いつつあるものの存在を知りました。
それは進歩ではなく損ではないかと考えました。
 戦後の短いスパンで考えると時代に流されてしまったのかもしれませんが、3~400年というアメリカの国よりも長く続いていることを考えると、

 「昔はどうだったのか」、
 「今はどうなのか」、
 そして
 「100年先のあるべき姿はどうか」

地球の裏側から来た者として、『日本の独特なもの築いてきたものを消さずに、出来ることなら繋げていきたいな』と思いました。
・・・
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 セーラさんは、ドナルド・キーン氏やエバレット・ブラウン氏の様な『現代のフェロノサ』に見えます。
「異邦人の目」が、日本をイノベートしてくれました。

 さて講演では、下記の実績項目を次々に紹介されました。
私は何回も小布施を訪れていたので、地域ぐるみの素晴らしい成果の数々を実感できました。
「百聞は一見に如かず」です。
やはり、自分の「身体」・「心」・「脳」に刻み込むことがイノベーション発揮の早道です。

[数々の成果]
■非日常が日常を引っ張る
■燻瓦の蔵で食す寄り付き料理「蔵部」
■小布施ッション
■小布施見に(mini)マラソン
■「変わら(瓦)なくちゃ!」
■餅ベーション
■日本独自の発酵文化
■率先垂範で成し遂げた実績
 ・【傘】
 ・【スクウェア・ワン(原点に帰る)】
 ・【桝一客殿】
 ・【木桶仕込みと農業】
■「かのやま」プロジェクト

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■小布施見に(mini)マラソンでは、
・・・『架け橋を作れれば道は開けます。出来ない理由が100あっても、出来る道が1つあれば出来る』
 その道をみんなで作ろう、道がなければ橋を架けよう、出来ないはずがない、と信じました。
当時は28ある自治会の会長さん全員がOKしないと開催は出来ないと警察に言われたのですが、私は逆に近道だったと思います。
一斉にみんなが知るので、後から聞いていないとか、誰かが先に聞いた等はなくスムーズに全員に知らせることが出来ました。
・・・
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■苦労の中で、1番重要視したことは?
 ・・・目標を立てて熱意や決意を持って走っても、嵐に遭ったりゴールが見えないこともあります。
でも信じることが大事。信念を持てば波に振り回されません。
 また北斎も励みになりました。
 『90歳まで進化しインスピレーションを持ち、新しいスタイルをドンドン確立した人』です。
若い時はチャレンジすることがすごいと思いましたが、今、母親になり、4歳の子どもがいます。
どんな暮らしをしながら子どもを育てたいか、自然にチェンジしていくこともあります。
チェンジ出来なくても、その時ベストを尽くすことだけはします。
人のことは出来ませんが、自分のことはベストを尽くせば、それ以上のことは出来ないし、それ以下のこともしたくない。
そして良いことを言えないなら、何も言うな! ということです。人の悪口は絶対に言わない。
マイナスを言えばマイナスになりますが、欠点があればそれをどうすれば良く出来るかだけを、前向きに考えて生きていきたいと思っています。
・・・
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 それでは、小布施イノベーションの「2+1」をアップしますが、、
その前に、「ルネッサンス」と「バロック」の違いを知ると、理解がすすむと思いますので、松岡正剛「日本数寄」より引用します。
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 ・・・ルネッサンスとは、中心を一点にもった正円の世界である。(⇒「2+1」の「A」)
日本でいえば長次郎の楽茶碗にあたる。
それは人間の手がもたらす造形の完成をめざして深くて尊いものである。・・・
 これに対して、バロックとは、そうした完成の究極をいったん離れ、あたかも楕円が2焦点をもっているように、むしろ自在な多元性を求めて、あえて『逸脱』を試みて歩みだした様式をいう。(⇒「2+1」の「B」)
 バロックという言葉も「歪んだ真珠」を意味するバロッコから派生した。これは、つまりは織部の沓形茶碗なのである。
・・・
 いま、日本は漠然としすぎている。
疲れているわけではない。
一部には熱意もある。
 ところが何かが発揮されないまま、すっかり沈殿したままになっている。
歴史と現在が大胆に交錯しないからである。
 日本は漠然ではなく、もっと揮然としたほうがいい。
・・・
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  「昔はどうだったのか」、
 「今はどうなのか」、
 そして
 「100年先のあるべき姿はどうか」

 行き詰まった時は、『逸脱』が求められます。
「漠然」ではなく、もっと『渾然(別々のものが一つにとけあって、差別のないさま)』とする。

 セーラさんは、異邦人の目線で、ルネッサンス(A:半分)からバロック(B:半分)に挑戦されて『渾然』を実現されました。
「日本の独特なもの築いてきたものを消さずに、繋げていきたい」という想いが強いモチベーションです。
そこに、新しいスタイルをドンドン確立した「葛飾北斎」が励みになったことも語られました。
 そして、葛飾北斎と同様に『別様』を創られました。

『切実』 ⇒ 『逸脱』 ⇒ 『別様』

です。

・「異邦人の目」を持つにはどうしたらいいか
・ そして、それは「バロック」につながります

 『価値創造/イノベーション』の大きなポイントですね。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第328夜:伊東屋「常識破りの革新を成し遂げた着眼力と発想力」

2024年12月7日 「Stationery(文房具)からMobileへ」

 いま、皆さんは「文具」をどこで購入されていますか?
・シンプルに美しく暮らしたい私の娘は、「無印良品」のものが殆どです。
・私たちが仕事関係でたくさん調達する時は、「ダイソー」です。
・私のモノは、「銀座・伊東屋」「日本橋・丸善」のものが多いです。

普通の文具店に行くことは殆どなくなりました。変わりましたね。
そう、昔は輝いていたのに、今は「魅力がなくなりました」。
過去の延長上に未来はありません。(第50夜・第133夜)

 
「伊東屋」は、明治37年に銀座で創業し、文房具の販売を通じ文化と表現を担ってきました。
5代目社長の伊藤氏により、2015年6月16日にリニューアルオープンした銀座・伊東屋は、幅広いライフスタイルを提案し、従来の文房具店の枠組みを越え「働く」「移動する」「遊ぶ」など生活シーンすべてにおける価値をカバー。
 『常識破りの革新』を成し遂げられました。
 さて、現在2020年のコロナ禍では80%の売り上げ減になりましたが、
「ECとオリジナル商品への注力」
という大きな戦略転換によって復活され、一時供給が間に合わなくなったほどの成功を収められています。


 
 さてさて、銀座リニューアルの年の12月に、伊東屋5代目の伊藤明社長が文化経済研究会に登壇されました。
 当時、私は前職パイオニア社を早く卒業して、新価値創造研究所を立ち上げて、
「企業経営の転換期に向けた『価値創造/革新(イノベーション)』の①背景・環境、②ものの見方と覚悟、③あり方、やり方」
についての強い関心がありました。

 伊藤社長の「革新を成し遂げた着眼力と発想力」を拝聴して、すぐに、もっと知りたい旨の取材の申し込みをしたらその場で快諾がありました。
数日後、隅田川のウォーターフロントタウン(日本橋箱崎のオフィス)を訪問して、社員の方達からもお話しを伺うことができました。
そこでお会いした一人がが、当時は、企画開発本部長の松井幹夫取締役(現在、常務取締役)でした。

 「・・・伊東屋のミッションは『クリエイティブなときをより美しく心地良くする』です。
『クリエイティブなとき』とは、前向きな気持ちで仕事を生み出す、すべての時間だと思っています。
その時間を支えるものとして、美しくかつ機能する文房具を提供するのが私たちのミッションです・・・」
等々。
さまざまな観点からの質問に丁寧に回答くださり、大変な学びとなりました。

 それでは、そのベースとなる「常識破りの革新を成し遂げた着眼力と発想力」について、伊藤社長の講演の一部を引用します。

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■伊東屋の立脚点と危機感

 伊東屋の特徴は
①文房具屋
②店頭小売業
③銀座の街
 です。しかしこの3つはこれからも成り立つのだろうか。心配なところでもあります。
①文房具屋はこれからも成り立つのか、危機感を持っています。
 働き方が変化し、事務所では1人1台のコンピュータが普及し、個人レベルでは1人1台以上のスマートフォンなり、タブレットを持っています。働く場所はもはや事務所が唯一ではありません。新幹線の中やカフェでコンピュータを広げて仕事をする人を多く見かけます。このようにモバイルで、ノマドの働き方が増えています。仕事の仕方が変わる中で、文房具屋が成り立つかどうか心配です。

②店頭小売業は成り立つのか。買い物の仕方が変わりました。
 大規模法人は、文房具は店頭に買いに来るのではなく納品業さんに依頼します。小規模法人はアスクルなどオフィス通販です。個人はGMS、ホームセンター、ロフトさん・ハンズさんなどの業態店に買いに行くようになりました。さらに脅威なのは、買うものが明確ならamazonなどのネット通販で、欲しいものだけを打ち込めば簡単に買える仕組みです。余談ですが、伊東屋のメルシー券は父が導入したものです。購入金額の5%の券を、例えばOLさんなどお使いで買いに来た人に渡すのです。買いに来た女性は「伊東屋に行けばメルシー券がもらえる」「それで自分の買い物ができる」と、他の文房具屋ではなく喜んで伊東屋に来てくれたわけです。伊東屋は来てくださる女性が喜ぶようにと、ファンシー商品導入のきっかけになりました。

③銀座は成り立つのか。銀座の強みと弱みがあります。
 銀座は日本で一番有名な商店街です。外国人客が多いし、百貨店の中で外国人比率は、銀座が圧倒的に高いです。また全銀座会を始めとする町会、通り会、業界団体などの組織があり、意思疎通がはかれています。しかし1軒ずつが小規模で、核となるデベロッパーがいません。クリスマスのイルミネーションをやろうと言っても、まとまった資金がありませんし、意志の統一に時間がかかります。

・また「街自体のあり方の変化」です。
 以前は人が集まる所へ出店すれば、そこにお客様が来て買い物をする構図がありましたが、そんな時代は終わりました。今は店が努力をして、モノを買う所以上の価値を提供し、来店する理由を作り、人の集まる所にしなくては、お客様は来てくれません。人が集まる場所であっても、その努力をしない店の前は通り過ぎます。街に力があるのか、店に力があるのか、疑問に思うところです。

・外から来るお客様から見える銀座はどんな街でしょうか。老舗の百貨店や老舗の店舗が多くありますが、そこよりも外国人が目指して来るのは世界のスーパーブランド(LV、カルティエ、エルメス、ブルガリ)や、世界のスーパー量販ブランド(H&M、ZARA、ユニクロ、Gap)です。最近では免税店。松坂屋さんの跡地や数寄屋橋で大型再開発が行われていますが、外国人などマスで取り込む流れに変わってきています。

 『そのような中で、われわれの成長領域はどこにあるのか』

・伊東屋はナショナルブランド(NB)商品を扱っています。
 しかしNBを扱う大資本企業の業態開発(ロフトさん・ハンズさん)には、同じことをやっても負けます。それからNBメーカーでいうと、NBはマスマーケットを狙っていきます。伊東屋が今までテレビで取り上げられたのは、流行りモノに関してであり、われわれがお勧めする商品は取り上げてくれません。テレビは全国放送なので全国で売れるものしか取り上げず、マスマーケット中心のモノとなると、伊東屋の特徴はなかなかメディアに載せにくい。つまりマスマーケットは大資本に勝てないし、またネットでの価格競争にも勝てないのです。

・もっと怖いのは日本市場の縮小です。
 人口動態問題で少子高齢化と、それに伴うマーケットの縮小。それから財政赤字問題。急速な円安や国債の格下げがあり、3~5年後が不透明です。さらに残念なことに、日本には言語問題もあります。語学教育が不十分でしたので、海外進出に困難があります。一部の企業はうまくいっていますが、われわれの規模では非常に難しい。海外展開のタイムリミットも来ているのではないかと、危機感を持っています。

・そして「企業継承」があります。
 継承すべきものは何か。事業か、資産か、と考えることがあります。
土地の価格が高い場所に資産を持っていると、事業を継承して苦労するよりも、資産だけを継承させて、そこを稼ぎどころにした方が儲かると勧められます。私が社長になる前にもありました。ある大手のゼネコンさんがいらして「伊東屋さんも商売の先が見えているから商売を辞めて、ビルを建て替えて貸した方がいいですよ」という提案でした。もし、うちの家族が、企業継承は資産の継承だと思っていたら、その話に乗っていたでしょうね。私も叔父もそうは思っていませんでした。われわれは法人として継承しなくてはいけないのは事業だと思っています。事業は法人のもの、資産は個人のものだと思っています。それを法人に当てはめてはいけないと考えています。

・銀座の資産価値の将来性はどうでしょうか。
 もし銀座がすべて貸しビルにしたら。大規模スーパーブランドが来ているときは良いでしょう。数年前中国の方が良いと、ブランド店は進出してこなくなり、日本のブランドは終わりだと言われました。幸い中国人は日本に買いに来たので、また違う様相になっていますが。つまり、外から来た人はいつでもいなくなる可能性があるのです。自分たちが価値を作っていかない限り、銀座の街はなくなります。少なくとも自分の店はやっていこうと。そのためには「ブランド力の強化」が必要です。・・・
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・「文房具屋のこれから」
・「店頭小売業のこれから」
・「銀座のこれから」
・「街自体のあり方の変化」
・「日本市場の縮小」
・「企業継承」
・「銀座の資産価値の将来性」
・「ブランド力の強化」

 ⇒『そのような中で、われわれの成長領域はどこにあるのか』

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■あり方、やり方(要約)

 伊東屋らしさを出すために、伊東屋らしさを突き詰めて考えた最後に、われわれの【Mission】という形になりました。
「クリエイティブな時をより美しく心地よくする」ことです
 
・ミッションは『クリエイティブなときをより美しく心地良くする』

 仕事の仕方が変わり、仕事をする場所が変わってきたので、それに合致したことをしなくてはいけません。
「stationery」の語源は「動かないかないもの」。それは、机の上に置いて、そこに来れば使えるモノだから。

今、スマートフォンやコンピュータなどモバイルが紙に代わり、ペンに代わり、ファイルに代わりました。
文房具が果たしてきた情報を書き留め、まとめ、必要なときに取り出せるものが、モバイルに入っています。
 世の中がモバイルに代わったときに、われわれが「働くことのサポート」するべきものは、机上の動かないものからモバイルに変えないといけません。

・メインコンセプトは『StationeryからMobileへ』

 そして「“モノを買うトコロ”から“過ごすトコロ”へ」と考えています。
それは買い物の方法の変化や、街や店舗のあり方の変化があるからです。
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  さてさて、新価値創造研究所の「価値創造セオリー」である、

 『切実』 ⇒ 『逸脱』 ⇒ 『別様』

 のメインプロセスが垣間見えましたら幸いです。(第322夜)

 それでは、革新を実現された伊東屋さんを「2+1」(第313~314夜)に当てはめます。

 ここでは原点に戻って、是非、「現状は『半分』と見切るコト」(第310夜)を思い出してください。
いまの状態(自社)は、まだ「半分」であること。「中途(半端)」であること。
「2+1」の『B』に何を入れると『C』のダイヤモンドの価値創造につながるのか、を考察されることが「価値創造力」のアップにつながります。
 第313夜から第328夜の「他の分野の知識(2+1)」を「自社の進化」に応用できるように、パターンを見つけることが大変有効に思います。
それにつながるように、毎夜綴っています。

「新しい文化と経済」は、『次のステージ・クラス』を自ら語ることで、初めてできるようになることを実体験してきました。
是非、皆さんもチャレンジされてみてください。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第327夜:中川政七商店「日本の伝統工芸を元気にする!」

2024年12月6日 「どうありたいかを徹底的に追求し、強いビジョンをみつけ、熱を持って語る」

2011年11月の第56回文化経済研究会(谷口正和師匠主宰)に中川淳氏(株式会社中川政七商店 十三代代表取締役社長)が登壇されました。
テーマは、「経営をデザインする、ブランディング」

私の家族の女性陣が立ち寄る「好きなお店」です。

 株式会社中川政七商店)は、享保元年(1716年)に現在の奈良県で創業されました。
生活雑貨工芸品の製造小売業。2009年から工芸メーカーへのコンサルティング業も行っています。
「日本の工芸を元気にする!」を目的にして、「工芸品に関わる他のメーカーや産地が補助金に頼らずに黒字経営化し、経済的な自立や工芸メーカーとしての物作りの誇りを取り戻す」ことを目標に掲げています。

 前夜(隈研吾氏)との共通点は、
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① どうありたいかを徹底的に追求し、
② 強いビジョンをみつけ、
③ 熱を持って語る
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 ことにあります。
まさに、『価値創造の心得・セオリー』そのものです。

 もう、13年前の文化経済研究会の講演でしたが、『不易流行』(第34夜、第245夜)を実践されていました。
(不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います。)
 研究会受講のあと、私も「中川政七商店」を見かけると、自然に店舗の中に足が向いてしまいます。

 さて、講演の『肝(キモ)』となる一部をお伝えします。

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■何を、いかに正しく、伝えるか

・・・「自分起点とは、どうありたいかの追求ではないか」と思っています。
 会社として、経営トップとして、自分がどうありたいかを掘り下げていくこと。そしてその伝えるべきことをいかに正しく伝えるか、その作業がブランディングだと思います。
どうありたいかを会社レベルで言い換えると“ビジョン”であり、ブランドレベルで言うと“コンセプト”です。軽い気持ちの“張りぼてのビジョン”は要りません。

 例えばよくあるのが「地球環境に優しく」。企業の業績が傾いたときに、1番先に切られるところです。ビジョンは会社の一番上に掲げ、それに対してすべての事業活動を向けていくもの。そして個人的な“思い”からくるものでないといけないのではないか。
 どうありたいかを追求していく「自己欲求」「社会性」「熱を持って語れる」、この3つを満たすものでないと、社内外に伝えていけません。

 中川政七商店のビジョンは「日本の伝統工芸を元気にする!」

 2006年から掲げて行動しています。これが腹に落ちるまで、悶々とした時期が3~4年はありました。うちの会社は300年間に伝わる家訓やビジョンが一切何もないのです。会社に入社して、売上を上げて、それなりにやってきましたが、それ以上にやる意味を見い出せず、自分のモチベーションをかき立てるものがなかった時期がありました。

 「何ができるのか、何をやらないといけないのか、自分たちの使命は何か。」

やっとたどりついたのが

『日本の伝統工芸を元気にする!』。

 社会性はあると思うし、自分のやれること・やりたいことでもあるし、社内外に熱を持って伝えることできる。すべての事業活動をこれに向けてやっていこう、と。逆に言えば、これに向かわないものはやらない。これが判断基準として見えるようになり、経営はやりやすくなり、会社もよくなったと思います。・・・

 ものづくりには多くの方々に協力していただいていますが、毎年2~3軒と廃業の挨拶に来られます。何とかしたいと「日本の伝統工芸を元気にする!」と掲げて、仕入れ業態を立ち上げ、その人たちのものを買うことで支えましたが限界があります。
ではどうするか。直接的に経営に関わり改善していくしかないのでは、と思い至り、 2009年に「業界特化型の経営コンサル」を始めました。
・・・
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 「経営」のバージョンアップです。
いったい、どういう想いを抱えて、どのような方向性を見つけられたのかという、そのプロセスに着目してください。

 是非、「2+1」をご覧いただき、自社の『価値創造』を想像・創造されてください。


このような経営者の「2+1」をいっぱい見ること、洞察すること、検討することで、皆様の中に潜んでいる「経営力」「自分起点」が磨かれていきます。
私は、この文化経済研究会でそれを浴び続けました。ww

 「価値創造の知」のこれまでの図解には、『判断基準』、『成長経営』のヒントが詰まっています。
是非、その『知』の数々を読み取られて、将来のお役に立てれば幸いです。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第326夜:建築家・隈研吾氏「負ける建築」

2024年12月5日 「負の美学」「引き算の魅力」「禅の感覚」

2005年10月の第19回文化経済研究会に隈研吾氏が登壇されました。
テーマは、「成熟時代の建築におけるデザイン戦略」

 隈研吾さんとは、谷口正和師匠、松岡正剛師匠の両仕事場で5回ほどお会いして『一流の匠』を拝見・拝聴させていただき、そのことが私の『知の財産』になりました。
それは、引いて引いて価値を創造する「負の美学」「引き算の魅力」「禅の感覚」です。

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 「負の美学」として、藤原定家の有名な歌があります。

「見渡せば花も紅葉のなかりけり浦の苫屋の秋のゆふぐれ」

 浜辺でまわりを見渡しても何もない寂しい秋の夕暮れだというのが表向きの意味です。しかし、定家は何もないのならそれでいいのに、わざわざ花(桜)や紅葉がないと言っています。「花も紅葉のなかりけり」と言葉の上で否定した表現によって、かえってそこから花と紅葉が現出することを可能にしたのです。

 「ないもの」をイメージする力にプラス(クリエイティビティ)が潜んでいます。
これは「逆転の見方」であり、「負(余白)の美学」です。これと同じ日本の方法が枯山水であり、俳句であり、長谷川等伯の「松林図屛風」です。

 「枯山水は、水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまっている。つまり、そこには『引き算』という方法が生きているんです。それが新しい『美』を生んだ。・・・」
(松岡正剛師匠談 加筆引用)
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 私達は、ついつい足すことで「価値」を付加しようと発想しますが、元々日本には「負(マイナス)」することで新しい文化を創るというDNAを持っています。あの「わびさび」の世界も同様です。禅寺に通っていたスティーブジョブズ氏(第321夜)は、引いて引いて「iPhone」文化を創りました。
隈研吾氏の「負ける建築」も同様に新しい文化をつくられました。

 本夜は、隈研吾氏「負ける建築」を通して、『負(マイナス)の美学』『逆向きの発想』『アートに潜む「負の想像力」』による価値創造を感じていただけたらと思います。
後方で、本書「負ける建築」を「2+1」で表したいと思います。

■著書『負ける建築』の“はじめに”から引用します。
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 ・・・象徴にも、視覚にも依存せず、私有という欲望にも依存しないで何かをさぐっていきたい。
「強い」建築をたちあげる動機となった、それらすべての欲望から、いかにしたら自由になれるか。
そんな気持ちを込めて「負ける建築」というタイトルをつけた。
 ・・・・突出し、勝ち誇る建築ではなく、地べたにはいつくばり、さまざまな外力を受け入れながら、しかも明るい建築がありえるのではないか。
・・・
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 私の建築のファンにはある共通性がある。
それは、「反中心」という人が多いということだ。
マルセイユの人はパリの建築家がきてマルセイの建物を建てるのが嫌なんです。
 だから、私といっしょにくんでマルセイユらしさを出したいとなる。
その場所を大事にしたいという人たちが隈研吾の建築のファンになる。
 私はこれからも、一生懸命その場所を理解し、その場所を活かし、そして楽しんで建築を作っていきたい。(松岡正剛「匠の流儀」引用)

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 「Why?:『建築』という存在自体に何か問題があるのか?」
という素朴な疑問から、その要因を上げています。
 
「建築」は確かに嫌われて然るべき、さまざまな『マイナス』『宿命』を有している。
1.まず、大きいこと。大きければ当然目障りである。
2.途方もない物質の浪費
3.一度つくったら取り返しがつかないこと。そのふてぶてしさ。

 「建築のヴォリューム」がある臨界値を超えると、人は建築に対して警戒し始めます。
『Why?』と自分自身にたえず問いかけて、自分でそれに答えてゆくという「深い知」(第85夜)がここに記されています。

■めざしているのは「負ける建築」
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 ・・・建築のテーマが「居心地のよさ」になり、建築家がこういうテーマで話すようになったことは、時代だなぁ、と思います。建築というのは、国づくりの基本的な方針をつくるとか、インフラとか、合理性とか機能性とか・・そういう言葉で語られてきたもので、居心地などという言葉で建築を語るなんて、やはり時代が変わったんだなぁ、と思うわけです。

要するに、建築というのが「経済成長のシンボルの時代」ではなくなった。「成熟化の時代の建築のあり方」が問われるようになったのだということだと思います。日本の建築はバブルの後、確実に成熟時代を迎えています。今日は、成熟時代の建築とは何かというお話をしたいと思います。

 結論から言えば、それは「場所性に根づいた建築」です。場所の個性とか力とか時間とか、そういうものを引き出していくような建築でなければいけない。中央の文化を地方にばらまくといったような建築ではなく、逆にそれぞれの場所場所に埋もれている力を引き出していくような建築であって、『成長期に比べるとまったく逆向きの建築』です。中央からの建築ではなく末端からの建築です。建築家のデザインの手法も変わってきます。自分のデザインをばらまくのではなく、それぞれの場所に合わせて建築家も変わっていく。そうありたいと思います。

 岩波書店から昨年出した『負ける建築』という本に、このことを書きました。建築が場所に勝ってはいけない。場所が建築に勝ってくれるほうがいいし、そこに住む人が建築に勝ってくれるほうがいい。それでは「負ける建築」とは実際どういうものなのか。今日は映像を中心にお話したいと思います。・・・
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 経済成長のシンボルの時代ではなく、「成熟化の時代」の建築のあり方を根本的に自らに深く問い、考えられていることに共感しました。

 「大切なものを引く」ことで新しい価値を生み出してきた日本人

 改めて、「価値創造」するときに、日本人がもっとも得意としているのは「引くこと」です。
アルコールフリーのビール系飲料は「ビールからいちばん大事なアルコールを抜いた」ものだし、NHKのアンケートで「見たい国宝」の1位になった長谷川等伯の『松林図屏風』は西洋画のようにびっしりと描き込むことがなく、見る者がその世界に入り込める余白が設けてあります。龍安寺石庭に代表される枯山水は「水を感じる」ためにあえて水を抜いてある。カラオケもまた「歌=ボーカル」という大切なものを抜いたことで大ヒットし、ひとつの文化となった。これらはすべて「禅の思想」。執着や先入観といったものを取り払う、あるいはいちばん大事なものを手放す。実はそうすることで新しいものはできていきます。

 第235夜で「経営理念を明確に持つ」を綴りましたが、そこに必要なスキルは「WHY:深い何故」でした。

 それは、禅(ZEN)や瞑想の世界に通じています。引いて引いて、『大元(おおもと)』『空』に辿り着く。
自分は35歳の時に、ビートルズにも影響を与えた「マハリシ・ヨッギの超越瞑想」の門をご縁によりたたきました。(第6夜)
そこに入って驚いたのは、大手の企業経営者が多いことでした。彼らは、「心を空にする」ことで経営の方向性や生き方を見出しているようでした。(空即是色)
「引き算」をすることで、何かが見えてくることを体験をして、それが「3つの知」の一つである「深い知」の体系につながりました。

そう、そこでは雑念をなくす、私心をなくすことを体得して、大事なコトは何か?そして、大事なものにつながることを体験してきました。
その体性、知性、心性を澄まし、磨いたことが自分の将来に大きな影響を与えました。

 この「引き算」「負の想像性」の『一流人の言葉と実践』を両師匠から学び、それを事業で実践してきました。
いまは、それらを多くの方たちに、セミナーや各種ご支援(事業創生・地域創生・人財創生)でお伝えしています。
本夜もその一環です。

 それでは、「負ける建築」、アートに潜む「負の想像力」を「2+1」で表します。
何かのお役に立てれば幸いです。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第325夜:クックパッド「価値共創4.0」

2024年12月3日 クックパッド「家庭に“楽しみ”を創る料理サイト」(両利きの経営)

前夜に続き、15年前の2009年に文化経済研究会で講演された『ベンチャー企業:クックパッド』を「2+1」で紐解きたいと思います。
 第98夜・「新価値創造イニシアティブ」で、クックパッド価値共創4.0を綴っていますので、詳細は是非そちらをご覧ください。


「インターネットを駆使したベンチャー成長企業として、私のセミナーや研修の「事例・演習コンテンツ」としてよく活用していました。
そこには、ネットによる「両利きの経営」の初期モデルがありました。

 現在は、2012年から3年続いて業績不振(第3ステージ:競合サービスの激化、プレミアム会員の減少等)なのですが、当時は「日の出の勢いのある眩しい会社」でした。
前職パイオニア本社(目黒駅)と当時のクックパッド本社(白金駅)は歩いて10分くらいの近さで、私は何回か白金本社に訪問して、異業種コラボレーションを検討していました。

 2009年当時の講演を加筆引用します。
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「文化経済研究会」第44回定期セミナー・ゲスト山岸延好氏 クックパッド株式会社  執行役 副社長兼COO

家庭に「楽しみ」を創る料理サイトの戦略
■“おうちご飯”志向が急増するなか、料理レシピの閲覧・投稿サイトを運営する「クックパッド」は、今年7月マザーズ上場を果たし注目を集めます。 月間利用者数680万人、60万品を超える料理レシピが投稿されており、競合がひしめくレシピサイトの中でNo.1の支持を集める人気サイトとなった 原動力とは何か。
膨大なレシピと投稿による相互コミュニケーションだけでなく、料理の伝承ネットワークが食卓の意思決定メディアとなったいま、主婦の買い物動線に情報を載せてメーカーや流通の広告支援へと事業の幅を広げている。人気サイトの原動力とその戦略、今後の構想を学びます。
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■日本最大の料理サイト

 ・・・クックパッドのミッションは『毎日の料理を楽しみにすることで心からの笑顔を増やす』です。
これは社長の佐野が10年前に会社を始めたときから変わりません。

 彼は世の中に対して
『自分にできることは何だろう、心からの笑顔を増やすために何ができるのだろう』
と考えていました。
 佐野は学生時代に、ソーラーパネルを使った電動自動車の研究もしていました。地球を見渡したときに食糧問題、エネルギー、水、とにかく色々なことが変化している中で
「僕たちが変えていかないと世の中まずいぞ」
という危機意識が彼の中にありました。
 例えば原子力エネルギー、「あれはよいことなのか」と「なぜ」を20回くらい繰り返すとどこかで行詰まるのです。でも彼が一つだけ確信を持てたことが「料理が楽しくなると間違いなく笑顔は増えるよね」。どんな側面から見ても「なぜ」を30回、40回繰り返しても、誰かが不幸になるとか、破綻することはなかったのです。
 『世の中で料理を楽しみにすることだけの会社が1社くらいあってもいいのではないか』
ということで、クックパッドという会社はスタートしました。

 われわれのゴールは『すべての家庭のあらゆるシーンで料理が楽しみになるきっかけを提供する』です。
すべての家庭というのは、全世界の家庭です。日本はいま4700万世帯あるのでしょうか。世界は60億人ですから数十億世帯あります。
あらゆるシーンというのは、朝起きてから夜寝るまでの間、通勤したり、週末であればドライブしたり、冷蔵庫を開ける瞬間、買い物に行く瞬間、とにかくすべてのシーンに、料理が楽しみになるきっかけを事業として埋め込み、実現していこうというのがゴールです。会社は1997年、大学を卒業した年にスタートしました。
 いま月間816万人(10月末現在)の利用者がいます。

 「若い人は料理をしなくなった」と、よく耳にするかと思います。「料理をしなくなった」とは一体何でしょうか。「料理をしたくない」のでしょうか。でもクックパッドの利用者は増えています。816万人のうち30代の女性が30%前後、日本の人口で割り戻すと40%の人が利用している計算になります。この実態、あるいはユーザー1人ひとりのクックパッド内での行動を見ると、

 じつは「料理をしたくない」のではなく、「わからない」だけだと思います。

つまり料理が伝承されず途絶えているのです。祖母から母へ、そして子どもへと家庭の中で伝承されてきたものが途絶え、若い主婦がいざ料理をしようとしたときに、そのやり方がわからない。例えば大根1本、カボチャ1玉あったときに「これ、どうやって食べたらいいの」と。自分の中にレシピの引き出しがない状況なのです。

利用者の声を見ると、クックパッドが料理の伝承を解決していると実感します。
・「結婚して17年。料理は苦手で嫌いでした。仕事をしているので料理を作ることを逃げてばかりいました。これまで本は何冊も買いましたが中途半端。でもクックパッドに出会ってから変わりました。たくさん載っているので、1つのメニューでも好みのものを選べます。お料理が楽しい。主人も喜んでいます。
・「感謝」「毎日利用させてもらっています。参考にしながら毎日の食卓が少しでも豊かになるように、楽しみながら作るようにしています」
・「家族みなが『おいしい』の連発。ここのところマンネリ化で何を作ろうかと悩む時間が、クックパッドのおかげで楽しくなっています」
・「アメリカに住んでいます。作る料理は日本食が多いのですが、材料に限りがあります。料理本もなかなか手に入りません。でもクックパッドを友人に教えてもらい感激。ニューヨークの日本人の間でも流行っています」
・「見ているとお料理意欲がふつふつと沸いてきます。どんな高級料理店よりもおいしいレシピがいっぱいだと思います」
・「芸能人のブログで紹介され、知りました。外食から自炊へと変わりました」「気が重かったお料理が、クックパッドのおかげで楽しくなりました」。
・・・
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『価値創造の知』からの着目は、ゴールを

『すべての家庭のあらゆるシーンで料理が楽しみになるきっかけを提供する』

 に設定されたことです。

それを「2+1」で表します。

 そうすると、『B』で何をすべきか、何をしたらよいのか、ということに集中できますね。
新しいミッション・ビジョンを設定することが、新しい成長につながる格別な事例でした。

そして、若い女性は「料理をしたくない」のではなく、「わからない」だけだ
という仮説を持ちました。

 料理サイトを通して、「顧客との響きあい、共創」が始まりました。


その時に、私が作成したのが「クックパッドのビジネスモデル」です。
当時、これは画期的な事例と発見でした。

・顧客は『ドラマに参加したい!響き合いたい!』
・「素敵なドラマ、ストーリーがあれば参加しますよ!」 

 というように私は解釈してその後の「価値創造」「事業創生」「地域創生」に活用していきました。

 このようなビジョン、インサイト、仮説が、重要なところです。
結果として、この会社は、

「B2C」の会社が「B2B」の両利きの会社(第314夜)になりました。
ここから大きな成長が始まりました。
上記をベースに、「クックパッド・ビデオ観察」でセミナー研修を行ってきました。

 さて、私は異業種コラボレーションで「ヒット商品」を創出していましたが、
この「クックパッド」と連携する「パイオニア・サウンドパッド」があると、ワクワクするコラボと事業成長ができると妄想しました。

・こだわりの料理に合わせた、音・音楽を提供することで、料理ウェアが更に楽しくなる。
 たとえば、エスニック料理に、エスニック音楽が流れるのです。
 それを世界中のライフスタイルにする。

 そんな構想をして社内提案しましたが、パイオニア社内がそれを検討・推進する環境ではありませんでした。

いまでも、このコラボモデルは『イケル!』と思っています。
残念!

「温故知新」です。是非参考事例にされてください。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第324夜:「第3の道のつくり方~Third Way」

2024年12月2日 (株)マザーハウス「まずやってみる、そして夢中になる」

前夜に、谷口正和師匠/文化経済研究会の「新しい物差し」をお伝えしました。
文化経済研究会に招聘される講師の方たちは、皆さん「新しい物差し」を持って邁進されていました。
 と同時に、その内容は、「2+1(ツープラスワン)」の事例の宝庫でもありました。
研究会で語られる「心得と方法」群は、自社の中では絶対に聴けないものでした。

 本夜は、「2+1(ツープラスワン)」の最適事例の一つをご紹介します。
それは、2015年11月19日の第80回文化経済研究会のセミナー第2部で講演された、株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナー山口絵理子さんです。

 
 その講演レポートを引用します。
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 「途上国から世界に通用するブランドをつくる」をミッションにバッグ
づくりを始めた山口氏。爆弾テロや天災に遭いながらも、誠実にビジネスを
進め信頼できる生産体制を確立した。ハーバードビジネススクールクラブ・
オブ・ジャパンアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2012受賞。可能性を信じ、
夢を実現した同氏の市場を作る力に学ぶ。

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・・・マザーハウスは途上国から先進国に通用するブランドを作るというコンセプトのもとにバングラディッシュの工場でバッグを作り、今やその販路は日本だけではなく台湾や香港などアジアに広がっていこうとしています。
途上国の開発にもともと興味を持っていたために、ワシントンの国際機関での勤務やバングラディッシュの大学院での勉強を経ますが、その中で「フェアトレード」という活動の持つ歪さに気付きます。

「途上国の人が作った製品を、先進国の人はそこまで欲しくも無いにもかかわらず『可哀想だから』と憐れんで買う、これのどこがフェアなのだろうか?」

 バングラディッシュでも大学はあり、そこに通える人は高い家柄と能力を持った人ばかりですが、バングラディッシュの状況を変えられるかもしれない彼らはコンサルタントやIT技術者を目指し、自国の産業であるジュードやモノ作りの分野は敬遠される傾向にあるそうです。前者の方が報酬が圧倒的に良いであろうことからそれは致し方ないのかもしれませんが、そこで山口氏はなんとかしてバングラディッシュの特産品であるジュードで「カッコいい製造業はできないだろうか」と考え、先進国の人々がお情けではなく本当に欲しいと思えるようなブランドをバングラディッシュから発信しようと決心します。

「ビジネスとして成立しなければ生き残れないし、真の途上国・生産者支援にはならない」と考えたのです。

マザーハウスは今やバングラディッシュのバッグ製造業としては国内4番目の工場を抱えており、そこで働いているということは現地社員の方々にとっても誇り。
例えば、日本では会社に勤めている人であれば当たり前のように首から下げている社員証。
現地社員の方はこれを親戚に見せびらかすぐらいに嬉しいものだそうです。写真を撮ったり撮られるということもあまり無いために自分の顔写真やIDの入っている社員証が自分の社会的地位を示すものとして尊厳の一つになるのだとか。

 バングラディッシュで作られたそれらの商品の数々はクオリティ的にも第一線のブランドに全く劣らないものばかり。質が均衡しているとすれば、支持されるのはストーリーや背景です。あるいは、マザーハウスの活動によってバングラディッシュなど途上国が盛り上がればそれは新興国の経済効果となって結果的に誰もがメリットを得ることができる。この
グローバルな三方一両得の構図に気付いている人が徐々に増えていっているのかもしれません。・・・

・・・心が若くある限り、会社全体もそうあることができます。いつも考え続けることで、私たちは若いままでいられます。もっと成長できるのです。もうグローバル企業になるスタートは切っているのです。最初のステップはアジアにもっと進出すること。本当に夢を達成できたといえるのは、世界のあらゆる場所にマザーハウスができたときです。それがお店であっても生産地であっても、マザーハウスの存在感も商品も両方、世界中に広めたいのです。それがマザーハウスと叶えたい私たちの夢です。本当にたくさんお客様にお伝えしたいことはありますが、一番伝えたいのは、お客様に満足いただくために私たちはここにいて、いつもベストを尽くしているということです。デザインや品質、生産過程、素材、すべての面で。だからお客様にはこれからも共にあり続けることをどうかお願いしたいです。成長のパートナーとなってくださることを。この会社は本当に特別です。特別な目的・目標・哲学を持っています。ビジネスのためだけでなく、社会全体の発展を目指しています。皆様にご満足いただける商品を作っていきますので楽しみにしていてください。・・・
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「自分のやりたい事で世界を幸せにしている」山口氏の笑顔が印象的でした。
講演が終わってからは来場者の皆さんが口々に「感動した」と仰り、講演会場であったアイビーホールから徒歩で3分程度の場所にあるマザーハウス青山骨董通り店に押し寄せたため店内は大賑わいの状態になりました。


 その中の一人が私であり、気に入った商品を即購入しました。ww

 それから4年後の2019年に、「Third Way:第3の道の作り方」を上梓されました。


是非、読まれることをお薦めします。
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 25才で起業したときから掲げた言葉は、

『途上国から世界に通用するブランドをつくる』

それを「2+1(ツープラスワン」に表します。
図中の「B」をどうするか、その取組み、障壁、実践が記されています。

●「途上国」と「世界」
「途上国から」と「ブランドをつくる」
それぞれ相反する二つのモノを組み合わせています・(=「2+1」)

●「大量生産」と「手仕事」
 →手仕事を“効率的”にやるには?

●「社会性とビジネス」

●「デザインと経営」

●「個人と組織」

●「グローバルとローカル」

 →『今年、来年の数字を見る姿勢では何も生まれない』

 私たちは、ついつい「妥協点を探る行為」を求めがちだけれど、きっとそれだけでは消耗していく。
私は両者の交差点で生まれるアイデアや共感、相互作用が『もう一段高い次元での解決策を、広く社会に提供するもの』であると信じている。
 何より、その方が楽しい。ワクワクする。無理がなくて、長続きする。
だから、サードウェイという考え方を一人でも多くの人に知ってほしいと強く思った。・・・
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 「2+1」「価値創造DG」を構想し、実践、成長されてきました。

 2019年は、私がSDGsイノベーション」の心得と手段を、本格的に企業・学校・自治体に「啓蒙・啓発・啓行(しる・わかる・かわる)」している時でした。


この「山口絵里子」さんの“決意・生き様・方法”を図解して、いろいろな「場」でお伝えしてきました。

 是非、参考にして活用していただければ幸いです。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ

橋本元司の「価値創造の知」第323夜:「新しい物差し」

2024年12月1日 谷口正和師匠の言葉を伝えます

 前夜は、
価値創造/イノベーション実現で大事なことは、『心のフェーズ』と『ものの見方のフェーズ』を変えることをお伝えしました。

 本夜は、それを「谷口正和師匠」(第313夜)がどのように語っていたのかを記すことで皆さんのご理解が進むことにつながれば幸いです

 1997年頃、私が前職パイオニア社で「ヒット商品緊急開発プロジェクト」で、『本気』で異業種コラボによるヒット商品を創出していた時に、谷口師匠のところによく相談に行っていました。

その時の言葉を紹介します。

 前夜の『心のフェーズ(本気・覚悟)』を谷口師匠は、『本気のポリシー』と言い換えていました。

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・・・「本気のポリシー」を持ち、独自なる企業創造、事業創造に賭けたものだけが生き残ります。
未来を自ら計画し、実践し、我が「本気のポリシー」の意志の現れとして行動した者だけが生き残るのです。
・シュガーレディ(冷凍食品・宅配サービス)
・東都観光バス(車椅子利用者・観光バス)
・ミグロ(スイス最大の小売業)
 等々の事例も上げていただきました。

 我々は企業経営を「次なる未来への大局観」にシフトして現在を経営しなければなりません。
企業哲学、理念、指針を「本気のポリシー」そのものとし、顧客と市場に公開しなくてはなりません。
・・・
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 当時の自分の心性と知性に大きな影響を与えてくれました。

 師匠主宰の勉強会「文化経済研究会(2002年から2017年の間に計75回開催)」(第313夜)には、上記の『本気のポリシー」』を持って実践している講師(経営者)の方たちが、毎回2名(年6回)来られて講演されます。


 そのうちの100人くらいの講師(経営者)の方と懇談・面談する機会があり、その後の自分の「知(インテリジェンス)」と「人的ネットワーク」の大きな得難い財産となりました。
30歳半ばから、そのような機会に継続的に参加(15年間)できたことに「感謝」しなければなりません。

 さて、重要な認識は「文化が発生して、その後に経済が起こるコト」にあります。

「小手先の儲かることよりも、文化を発生させて新しい市場を創り経済を起こすコト」を重要視してきました。
 その為に、自分の思考や行動が「新文化づくりのヒット商品(新ライフスタイル創造)」や「新市場/新事業開発」のほうに大きくシフトしました。
(前職パイオニア社では、ヒット商品緊急開発プロジェクトを成功させた実績を元に、上記活動を認めてもらえるようになりました)

 さて、当該事業の行き詰まりを突破するために、「新市場づくり、新文化づくり」を突き詰めて検討していくと、そこで観えてくる将来の風景・構想から、自社の「本来と将来」の見直しが必要とわかってきます。

 1997年、まだ一課長の分際で、そんな生意気なことを考えて実行に移していきました。
その過程で、結構な摩擦・軋轢と役員からの反対の声もありました。これも必ず起きることです。

 それでは、次の「新しい物差し」に移ります。
 1997年、谷口師匠が『新しい物差し』という本を上梓されました。
それは自分にとって、とっても痺れる内容でした。

 プロローグの一部を引用します。
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 私たちは今時代の大きなカーブを曲がろうとしている。
しかもそのカーブは非常に大きく、しかも猛スピードで曲がり切らなければならないカーブである。
曲がり切れなければ次なるニューパラダイムの遠心力で吹っ飛ばされるだけだ。
 「古い物差し」を捨てよう。『新しい物差し』を使おう。
新しい価値観を示す『新しい物差し』、その物差しで時代を、社会を、生活者を計ろう。
 我々には、『新しい物差し』が必要であり、その物差しによって次なる想像力を喚起し、行動を速めることができる。
それが今、何よりも大切なのだ。
 波のように押し寄せる新しい価値観をなんら恐れる必要はない。手に一本の「新しい物差し」さえ持っていれば、新しい出来事の意味と解釈、その対応策まで見えてくる。
・・・
 転換期はややもすると声高に叫びすぎたり、過去の事例に引っ張られて慎重になりすぎたりする。当然ながら、混乱はつきものである。
この混乱の中から次なる新しい物差しが出てくるのであり、我々はそのことに対して素直になればいいのである。むしろチャンス到来とばかりに、爽やかに変化を迎え入れればいいのである。
 この時期、この混乱をお互いに身の保全ではなく、生まれ変わるチャンスと認識すれば、混乱もまた楽し、である。企業だけでなく、国家も個人も、みな第2の創業期なのである。
・・・
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 27年前の本ですが、全く色褪せることなく直球で、心と頭に入ってきます。

 『新しい物差し』とは、いわば新しい判断基準であり、判断の根拠です。
 それを探求、発掘、実践しながら、「本来と将来の羅針盤」となる『3つの知』を体系化していきました。

「深い知」「高い知」「広い知」を体系化した方法『3つの知』は、谷口正和師匠、松岡正剛師匠の『知』と自分との合作で仕上がりました。

 さてさて、現在は、

「学生の、企業の、地域の、国家の『新しい物差し』は何だろうか」

をよく観察、考察、洞察して、『心のフェーズ』と『ものの見方のフェーズ』の変化をベースにしてご支援しています。

価値創造から「事業創生・地域創生・人財創生」へ