橋本元司の「価値創造の知・第197夜」:「理解の秘密:インストラクションの構造」②

2018年12月22日 インストラクション図解

私たちの生活や仕事は「コミュニケーション」で成り立っています。
そのコミュニケーションを推進する役目を担っているのが、「インストラクション」です。
「インストラクション」と「コミュニケーション」は『二つでありながら一つ』(第33夜、第175夜)なのです。
その「インストラクション」の働きと活用法を理解していることが、個人的にも仕事にも人生を豊かにすることに繋がります。

それはどの様な構造をしているのでしょうか。
「理解の秘密」を自分なりに図解して加筆引用していますのでご覧ください。

さて、図の様に「インストラクション」には5つの要素があります。
1.送り手(GIVERS):インストラクションを出す人
2.受け手(TAKERS):受け手は、インストラクションにただ黙って従っているだけではなく、アクティブに行動しなければならない。
3.内容(CONTENT):メッセージそのものであり、表現方法には制約されない。
4.チャンネル(CHANNEL):メッセージの形式、仕上げ方でる。
5.コンテクスト(CONTEXT):インストラクションを届ける場面、背景である。

上記の5つの要素を地(分母)と図(分子)に分けました。

第105夜に記載していますが、「プランニング編集術:松岡正剛師匠監修」に書かれている「地」と「図」の関係がここでもたいへん参考になります。
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・発想のための「地」と「図」
情報には、「地」(ground)と「図」(figure)があります。地は情報の背景的なものを示し、図はその背景に浮かび上がっている情報の図柄をさします。
情報を瞬間的にとらえるとき、私たちは情報の図をみていることが多いものです。「地」情報は、漠然としていたり、連続しているいたりするので思考からついつい省いてしまいがちです。地の情報は、見ているようで見ていないのです。

意識して「地」の情報に着目してみましょう。何を地の情報としているかです。
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そう、「インストラクション/コミュニケーション」には、この依って立つ「地」(分母)の部分が重要なのです。
「夫婦喧嘩」のことを思い浮かべてみましょう。
だいたい、この「地」(分母)の部分が問題なのです。
お互いの拠って立つコンテクストが共通が多く、理解していればいいのですが、『背景(バックグラウンド)=地』が違いますね。
その場が、「疲れていてイライラする」場面であったりすると尚更です。

ご支援する会社の社長さんと自分との間にも、知識・体験・専門性の『背景(バックグラウンド)=地』が違います。
他業界の事例やビジネスモデル知識、対象事業の「本来と将来」の見立て、本質的な課題や不易流行の把え方等々です。まあ、同じであれば、ご支援することもありません。

前職・パイオニア社でプロデュースした「異業種コラボレーション」も、異業種でありながら、共通の価値観を紡ぎ出すためにこの『背景(バックグラウンド)=地』を共通認識することが重要です。

一体、何を分母として話をするのかによって、コミュニケーションの良し悪しが変わります。
それは、TV上の討論であったり、会社の会議であったり、夫婦の会話でも同様です。
何か会話や会議がうまく行かない時に、その「地」「分母」「本分」を『再定義』することがポイントです。

これをしないで、空回りした時間が過ぎてゆき、何も決まらない会議でいっぱいです。
そこでは、『価値』が生まれませんね。そして、それは「働き方改革」の分母でもあります。

図解のこの「地・分母・本分」を「送り手」と「受け手」が共通認識したらどうなるでしょうか。
はるかにスムーズになることがイメージできませんか。

第33夜、第192夜で「不易流行」について綴りましたが、この「分母(コンテクスト)」で「不易流行」を認識することが有効です。
それにより、いい見立て、いい仕立てにつながること、間違いなしです。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
理解インストラクション

橋本元司の「価値創造の知・第196夜」:「理解の秘密:インストラクション」①

2018年12月20日 コミュニケーションロスを無くすために

YAHOOニュースで来春の大型の10連休(GW)について、45%が「うれしくない」というニュースが目に入りました。
内訳は、
・男性は「うれしい」43%が、「うれしくない」40%より少し多い。
一方、女性は51%が「うれしくない」と答え、「うれしい」は28%にとどまる。
・「うれしい」は若年層ほど多く、18~29歳は58%、30代は43%に対し、60代は25%、70歳以上は18%だった。
職業別では事務・技術職層の51%が「うれしい」と答える一方、製造・サービス従事者層の「うれしい」は35%にとどまり、50%が「うれしくない」。
主婦層では53%が「うれしくない」と答えた。

この結果を見て、皆さんどのように感じられましたか?
同じニュース、情報なのに、人によって受け取り方が変わるのがわかりますね。
さらに、時系列や欧米と比較することでその差がどこから生まれてくるのか、その課題が観えてきます。

自分ゴトの前職・パイオニア社に従事していた素直な感覚で云えば、自分は「うれしい」に丸○をつけたと思いますが、製造・サービス従事者層半分の50%が「うれしくない」とつけたことに関心を持ちました。
それは、「働き方改革」と多いに関係がありますね。
恒常的に忙しくて余裕がなくなると、ますます「配慮のない情報のやりとり」「本質的でない情報のやりとり」で誤解と失意に陥ることになりやすくなります。
「夫婦喧嘩」も同様で起きやすくなりますね。自分も経験してきました。良好的、本質的な「情報の受け渡し」は、人間生活のもっとも基本的な要素のひとつです。

そこで、本夜から「働き方改革」や「価値創造革新」に直結する「情報のやり取り」にまつわる構造や事例を、「理解の秘密」(リチャード・ワーマン:松岡正剛監訳)を参考にしながら綴ろうと思います。

それでは、この本の序盤を加筆引用します。
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・・・ インストラクションは人間生活のもっとも基本的な要素のひとつである。これは、はっきりとあるいはそれとなく、コミュニケーションを推進する役目をする。
・・・
インストラクションとコミュニケーション。この二つは表裏一体のものである。このふたつは、
・周囲の人々とどのようにかかわったらいいのか、
・どうやったら仕事がうまくいくか、
・身の回りの世界をどれだけ理解できるようになるのか、
こういったことに重要な役割を果たしている。

・情報を手にいれる方法、
・それを体系だてて理解する方法、
・コミュニケーションを通じて情報を交換する方法、
このような方法は、人間の生活のなかでもっとも大切な働きである。
インストラクションがなければ、大半の情報は役に立たない。
ファイルキャビネットに情報が入っていても、その場所や内容や使い方を知らなければなんの価値もない。
インストラクションがあってはじめて、これらの情報の価値は発揮される。
つまり、情報を利用する人に、それをわかりやすく説明するのが「インストラクション」なのである。
・・・
インストラクションは、知識や情報を理解する鍵なのである。
ほとんどすべての活動に、なんらかの形のインストラクションが含まれている。
・何をすべきか指示を受ける
・何をすべきか相手に伝える
・何かの利用方法、見つけ方、決め方、やり方を見出すなどである。
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そう、インストラクションは毎日の仕事や生活に浸透していて、まばたきや呼吸のようになっています。私たちは、ほとんど無意識のうちにインストラクションを与えたり、それに従っています。
その構造と活用法を理解することで、
・クライアント先とのコミュニケーション
・対象事業の顧客価値の明確化
・対象事業の本来と将来の羅針盤
・社員へのパワハラ
・退職希望者へのインストラクション
・組織改革

等々、「働き方改革」「価値創造革新」に役立ったことを実感しています。
経営のご支援(コンサルティング)の現場では、インストラクションを意識しながら実践・遂行しています。

それを理解することで、夫婦関係、友人関係や職場の上司との関係、政治・社会・経済の視点・視座が拡がり、解決への道筋が明確になります。

次夜は、自分の体験と関連付けながら、皆様に役立つことを狙いとしながら、「理解の秘密」(マジカル・インストラクション)をひも解いていきます。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
理解の秘密

橋本元司の「価値創造の知・第195夜」:「芭蕉の知:道を究める」⑥

2018年12月13日 俳句道、華道、そして、価値創造の知(深い知)

前夜は、パイオニア社の「投資ファンドの完全子会社化」というニュースに関連づけて、
「③リオリエンテーション(「進むべき方向」の抜本的見直し)」の重要さについて綴りました。

芭蕉は、俳諧を「リオリエンテーション」したイノベーターでした。
それは、「言葉遊び(滑稽や戯れ)」の俳句を『俳句道』に高めました。
それは、新しい文化であり、ライフスタイルにつながります。

新価値創造研究所が考える「価値創造の望ましい姿」は、多くの人々に役立つ新しい文化・市場・ライフスタイルを創ることです。

さて、『俳句道』を命名しましたが、相撲道、華道、茶道、柔道・・・、と「~道」と「道」がついています。
そこで使われる「道」とは、何なのでしょうか?

辞書には、「道とは、(相撲等の対象における)真理追求や生き様のこと」とあります。

それでは、真理追求や生き様の「道」についての自分の強烈な印象を記します。

それは、2009年12月19日 松岡正剛師匠主宰「連塾 第3期JAPAN DEE4」でのことです。
当代随一の花人である川瀬敏郎(かわせ としろう)さんがゲストとして招かれました。

舞台の上で、花をいけられるその風姿、有り様、閑かさ、を観て息をのみました。
これまで経験したことのない、格別で別格な『華道』でした。

天と地のあいだで、心身をとおして、超一流の①しつらい、②ふるまい、③息遣い・心遣い、がありました。

閑かさや岩にしみいる蝉の声(芭蕉)

連塾の舞台には、華道の深淵な『閑かさ』がありました。
正直、ぶったまげました。

「あ~、これが本物の本当の華道なんだ」と。
言葉では伝えることができません。

この「価値創造の知」で何回か記してきましたが、
早くに、最初に、「格別・別格」の超一流を体験すること(第26夜・第119夜)がとっても重要なのです。

そこには必ず、身体性と心性と霊性があります。

芭蕉には、身体・現場をとおして、天と地のあいだにある心性と霊性の「真善美」を極めたように観えます。
ゆえに、それは『俳句道』にまで高まり、現在に続いているのではないでしょうか。

『道(タオ)』については、老子の知(第177夜)に綴りました。

その『道(タオ)』は、「空即是色空即是色」(第6夜)の『空』と同じであり、
それは「大元(おおもと)」のことを言っています。

『・・道』には、この「大元」に繋がっていることが必要です。

「価値創造の知」の第一法則(深い知:第85~86夜))は、この「大元」そのものです。
ゆえに、新しい文化・市場・ライフスタイルにつながります。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉俳句道

橋本元司の「価値創造の知・第194夜」:「芭蕉の知:パイオニア社の再生・再興」⑤

2018年12月11日 パイオニア社のリオリエンテーションの道筋

「パイオニア、香港・投資ファンドの完全子会社化へ」

という前職・パイオニア社のとっても残念なニュースが 先週12月7日に飛び込んできました。

本年5月中旬の第147夜に、
『真の企業再生・創生』とは? 「①リストラではなく、リ・オリエンテーション」
というテーマで、パイオニア社のことに触れました。
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経営は、縦の事業部に権限委譲していますが、経営の真の力は、将来ビジョンをイメージメントして、外部とそれらを横串して新文化を創る「プロデュース能力」です。
それを行うには、「深い知・高い知・広い知」を伴った企業の“ミッション・ビジョン・イノベーション”の明確化が絶対必要なのです。

そう、新しい経営陣には、「①リストラクチャリング」に安易に走るのではなく、“ミッション(錨)・ビジョン(北極星)・イノベーション(羅針盤)”と、真の企業再生・創生「③リオリエンテーション」が求められます。
真正面から取り組んでほしいですね。
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「次の一手」「次の柱」の用意と卒意はできたのでしょうか?

同時に、「真の企業再生のための3つの切り口」についても触れました。
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「行き詰まりの打破や、新たな成長を目指して、企業再生に取り組む切り口は3つあります。
①リストラクチャリング
「構造」の見直しを意味しますが、企業を縦串で見た時に必要のない部門を削除するものです。
②リエンジニアリング
「機能」の見直しを意味しますが、企業を横串で見た時に必要のない仕事を削除するものです。
③リオリエンテーション
「進むべき方向」の抜本的見直しを意味します。
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多くの会社が①②でお茶を濁していますが、上記①②は誰にも判りやすい「オペレーション」です。
12月7日の同日に、ニッサンのゴーンさんもニュースになっていましたが、ゴーンさんの得意なことも①②です。それも行き詰まりを見せましたね。
現在の多くの会社が①②が得意だった経営者の方達です。
ところが現在は、時代の変化・進化(第109夜、第169夜参照)の踊り場で、①②だけでは対応できなくなっていますね。
そのことは、経営者の方達はもう十分に承知しています。

今は、「③リオリエンテーション」の時代の踊り場であり、そのベースは、常識を逸脱しながら顧客満足価値を創造する「イノベーション」を開拓するパイオニアカンパニーが活躍する時代です。

さて、連載してきた『芭蕉』はその様な「踊り場」を生きて「俳句界」を開拓した、まさしくパイオニアでした。
この開拓で重要な視点は、芭蕉が生きた時代(1600年代後半)の背景をセットで視る必要があります。
そう、芭蕉が生きた時代と現在の状況には踊り場としての共通点がいくつかあるので、芭蕉がどの様な舞台でイノベーション(革新)をしたのか、を自分ゴトとして置き換えることで、今の経営に役立てていただければ幸甚です。

それでは、100分de名著:おくの細道 松尾芭蕉(長谷川櫂)から加筆引用します。
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江戸幕府がもたらした太平の時代の前には応仁の乱(1467~77)から130年以上続いた戦乱の時代がありました。
戦乱は今日の都を発火点にして日本全土に広がりました。この戦乱が日本の社会や文化に与えた影響は想像を絶するものがあります。
日本の歴史を眺めると、この戦乱の時代を境にして、それ以前の日本と以降の日本はまるで別の国であるようにみえます。
いいかえると、応仁の乱が巻き起こした戦火の中でそれまでの古い日本はいったん滅んでしまった。そして、戦火の中から新しい日本が生まれたということです。
このとき誕生した新しい日本が修正を加えられながらも現在まで続いているのですが、この新しい日本の最初の大詩人が芭蕉だった。

さらに踏み込んでみると、130年も続いた戦乱の時代に都だけでなく地方の都市も戦火で焼け、荒れ果てました。これによって貴族や大名や自社が保管していた多くの古典文学の文献が消失したり散逸したりしてなくなってしまいました。いつの時代でも戦乱は文化の破壊をもたらします。
その後の1600年前半に、本阿弥光悦・俵宗達・北村季吟等の日本の古典復興(ルネッサンス)がありました。芭蕉が生きた1600年代後半は、それらの古典復興を創作に生かした時代だった。
つまり、芭蕉は絶好の時代を生きたことになります。芭蕉が日本最大の詩人とされる背景には、こうした時代の力が働いています。
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さて、「蕉風開眼の句」と呼ばれる古池の句以前の俳句はどのようなものだったのでしょうか?
俳諧の本来の意味は「滑稽」や「戯れ」といった意味でした。それは、連歌を面白おかしく、親しみやすくしたものです。
それを簡潔に表わすと、古池の句以前のそれはずっと「言葉遊び(滑稽や戯れ)」の俳句でした。
それは「駄洒落」のようなものだったのです。

古池や蛙飛こむ水の音

はるか古代から日本文学の主流は和歌でした。その和歌は発生以来、一貫して心の世界を詠んできました
人の心を詠み続けてきた和歌に対して。言葉遊びの俳句が低級な文芸とあなどられていたのは当然です。
そうしたなかで芭蕉が古池の句を詠んで俳句でも人の心が詠めることを証明したのです。

そこに、「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句」を開拓しました。

芭蕉の革新ポイントは、
・新しい舞台をつくる
・土俵を変える、逸脱する
・新しい目的をつくる
ことにあります。

上記については、次夜に、第177夜「老子の道(タオ)」と関連付けて綴ります。

さてさて、ここからパイオニア社が、「どの様な新しい道を開拓するのか」が肝要です。
ヒントや構想は、幾つかありますが、先ず二つアップします。

1.価値創造の将来は、「中心にはなく、周縁に」あります。
→「オーディオの未来は?」を参照ください(2017年5月14日 オーディオの定義を革新する)

2.「顧客に囲まれる」には?
「顧客に囲まれる時代」(第20夜、第72夜、第108夜)の新しい交差、新文化を創り、そのエコシステム(生態系)を創造する

ことにあります。
それは、「ハードウェア」だけではできません。

それができれば、仕上げの「第3ステップのイノベーション・レボリューション」に進むことができます。

やはり、それらはこれまでの①②「オペレーション」ではできません。
③「リオリエンテーション」から、開拓(パイオニア)しましょう。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉パイオニア

橋本元司の「価値創造の知・第193夜」:「芭蕉の知:『軽み(かろみ・かるみ)』」④

2018年12月7日 『軽み』・『却来』・『色即是空・空即是色』

前夜は、「不易流行」について綴りました。
それは、時が流れても変わらない不易に心を置きながら、時の流れとともに変わる流行に目を置く。

それは、第88夜「世阿弥の知 離見の見」「目前心後(もくぜんしんご)」を想起させます。
「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ。
その本質は、「我見(がけん)」と「離見(りけん)」にあります。

それと同時に、第6夜「空即是色」と「不易流行」は同じことを云っていることに気づきました。
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「色即是空」というのは、「現実=色」に問題・課題があるのなら、先ず心を無にして、「大元=空=大切なこと=真心」に戻りなさいと教えてくれているように思います。

そして、「空=大元=真心」に戻って従来のしがらみや常識から解き放たれて、その本質(=コンセプト=核心)を把えてから「現実=色」を観ると新しい世界(=現実=色=確信)が観えるということではないでしょうか。その確信を革新するのがイノベーションであり価値創造です。
・・・
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第190夜に、蕉風開眼の「古池や蛙飛こむ水の音」の世界を紹介しました。
それは、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句である、と。
「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句である」ということです。

それは、「現実(実=色)と心(虚=空)」の図式です。

俗っぽい俳諧から、「現実(色)から心(空)を想起し、その空から色を推敲した」様式を創ったのが芭蕉ではないでしょうか。

そこにある「心(空)」が「不易」に近づき、高まっていくと「高尚」になっていきますね。

・高く心を悟りて俗に帰るべし(=高悟帰俗)

「小林一茶」(丸山一彦著)は、これを「俳諧の本質は、現実から出発しながら、それを一旦突き放し、廻り道をしながら、再び現実に帰ってくるところにある」
と著しています。

これを、芭蕉は「軽み(かろみ・かるみ)」と云ったのではないでしょうか。
「高悟帰俗」としての芭蕉の表現を「軽み」とすると腑に落ちます。
それは、第4夜(用意と卒意)の「侘び、寂び」にもつながってきます。

同時に、それは、第183夜の「世阿弥の知 却来の思想」でもあります。
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「却来」の思想は、優れた風儀がつまらぬ「なりふり」を一挙に吸収していくことをいう。くだらなさ、つまらなさ、下品さを、対立もせず非難もせず、見捨てもせず、次々に抱握してしまうのである。
なるほど「能」とは、このようにして万象万障に「能(あた)う」ものだったのである。・・・
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「空即是色」(第6夜)、「世阿弥の知 却来の思想」(第183夜)と「芭蕉の知 かろみ」(本夜)とが一直線で繋がりました。

さてさて、それを現代に引き戻すと、「高尚なコンセプト」を「かろみ」にする方法として活用できます。
例えば、
・池上彰さんの分かりやすいニュース解説
・第28夜 旭山動物園「命の大切さ」→動物が生き生きしている展示
・会社の理念→ビジョン展開
・自分の生きがい、やりがい
等々です。

今は、この連載で何回か記しましたが、「社会に役立つこと」と「会社の理念・活動」が繋がることが不可欠な時代になっています。
是非、社会の在り様、会社の在り様を再検討してみてください。
それは、「人生」においても同様です。

そこに、「価値のイノベーション」「意味のイノベーション」(第130夜)という『お宝』があります。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉かろみ

橋本元司の「価値創造の知・第192夜」:「芭蕉の知:『不易流行』」③

2018年12月5日 風雅の誠

五木寛之さんが、「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」のゲストの回でした。

そこでは、めまぐるしく変化していく時代のなかで、

・「変わる世の中、変わらぬ本質」
・「私たちも何を変えて、何を変えずに走るべきか(生きるのか)」

が大きなテーマの一つとなっていました。
この取組みは、永遠のテーマですね。

それは、まさしく『不易流行』です。
全ては「無常迅速」ですから、それは、人生、事業創生、地域創生、教育、政策等々にあてはまります。

それでは、日本俳句研究会から引用します。
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不易流行とは俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で見出した蕉風俳諧の理念の一つです。
芭蕉の俳論をまとめた書物『去来抄』では、不易流行について、以下のように書かれています。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」(去来抄)

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不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
・・・
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・『不易』とは、時が流れても変わらない
・『流行』とは、時の流れとともに変わる

前職・パイオニア社で、「ヒット商品緊急開発プロジェクト」を立ち上げ、次々に「ヒット商品」を連発しました。
その多くは、その時代のツールで、現在リリースしても「ヒット商品」には届きません。
今でも初期iPodやガラケー携帯を記念として持っていますが、それらは、ツールが進化して売れませんね。

五木寛之さんは、それを
「時代とともに時代と寝る。時代のバックグラウンドの上で物語をすすめる。
それは、二度と帰ってこない。・・・」
と語っていました。

ポイントは、不易を分母として、流行が分子という構造があるかどうかです。
本質的な分母(不易)があれば、時代に適合した分子(商品・サービス)を生み出すことができます。
それは、「価値創造の知・第一法則」(第21夜、第85夜、第161夜)に記しています。
重要なのはインビジブルな本質・価値・意味を把えらえているかどうかにあります。
なので、今でも「ヒット商品」を創出する自信があります。

五木寛之さんは、日本が大事にするもの(不易)というテーマで、

「和を持って貴しとなす」
が変わらぬ本質であるとも語っていました。

さて、再び日本俳句研究会からの引用です。
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・・・
不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います。

『蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。
是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり』(去来抄)

去来抄の中にある向井去来の言葉です。
『千年変らない句と、一時流行の句というのがある。
師匠である芭蕉はこれを二つに分けて教えたが、その根本は一つである』
という意味です。

難しい内容ですが、服部土芳は「三冊子」の中で、その根本とは、「風雅の誠」であり、風雅の誠を追究する精神が、不易と流行の底に無ければならないと語っています。

『師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。
この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。
その一つといふは、風雅の誠なり』(三冊子)

俳句が時代に沿って変化していくのは自然の理だけれども、その根本に風雅の誠が無ければ、それは軽薄な表面的な変化になるだけで、良い俳句とはならない、ということです。
(風雅とは蕉門俳諧で、美の本質をさします)
・・・
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蕉門俳諧の分母、根本は、『風雅の誠』にあるですね。

その本質があることで、
「卑俗ではなく、趣を介した自由な精神・芸術」
として受け継がれているのではないかと洞察しています。
会社や地域の再興、隆盛で必要なのは、「手段」ではない「本質・不易・目的」を明確化・共有化しているかどうかにあります。
それを持って、「時代とともに時代と寝る(五木寛之)」(=流行)のです。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉不易流行

橋本元司の「価値創造の知・第191夜」:「芭蕉の知:『虚に居て実にあそぶ』」②

2018年12月4日 芭蕉とAR・VR・AIの新結合

少し前に添付の様に、芭蕉の句で有名な山寺を訪ねました。
大仏殿のある奥の院まで1,015段ある石階段。「一段一段踏みしめていくごとに一つずつ煩悩が消え悪縁を払うことが出来る」と云われるその石階段を何とか上りきりました。

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

その「閑かさ」、「岩にしみ入る蝉の声」と頂上の景観を感じるためでした。
そこでは、芭蕉の世界にAR(オーグメンテッドリアリティ)、VR、AIがよぎったことが不思議でした。

さて、前夜に、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句である、という蕉風の世界をご紹介しました。
ここにも「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句である」ということが展開されていることがわかります。

ここで水先案内として、松岡正剛師匠の千夜千冊・991夜「松尾芭蕉 おくのほそ道」に幾つか引用します。
(対象の「全体と本質」を把むには、別格のナビゲーションに触れることがたいへん役立ちます)
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・・・ところで最初に言っておいたほうがいいだろうから言っておくが、芭蕉は天才ではない。名人である。そういう比較をしていいのなら、其角のほうが天才だった。才気も走っていた。
芭蕉は才気の人ではない。編集文化の超名人なのである。其角はそういう名人には一度もなりえなかった。
このことは芭蕉の推敲のプロセスにすべてあらわれている。芭蕉はつねに句を動かしていた。一語千転させていた。それも何日にも何カ月にもおよぶことがあった。
そういう芭蕉の推敲の妙についてはおいおい了解してもらえるはずのことだろう。
・・・
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そう、「編集文化の超名人である」ことを認識することで「芭蕉の知」のイメージが立体になっていきます。
続いて、991夜に記されている推敲の一部をご紹介します。

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・・・
(初)山寺や 石(いわ)にしみつく 蝉の聲
(後A)さびしさや 岩にしみ込む 蝉のこゑ
(後B)淋しさの 岩にしみ込む せみの聲
(成)閑さや岩にしみ入る蝉の聲
(初)五月雨を 集て涼し 最上川
(成)五月雨をあつめて早し最上川
(初)涼しさや 海に入れたる 最上川
(後)涼しさを 海に入れたり 最上川
(成)暑き日を海に入れたり最上川
(初)象潟の 雨や西施が ねぶの花
(成)象潟や雨に西施がねぶの花

どれを例にしても驚くばかりの「有為転変」である。とくに立石寺で詠んだことになっている「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」は、初案の「山寺や石にしみつく蝉の聲」とは雲泥の差になっている。
なかんずく「しみつく」「しみこむ」「しみいる」の3段に変えたギアチェンジは絶妙だった。「しみつく」では色彩の付着が残る。「しみこむ」は蝉に意志が出て困る。それが「しみいる」になって、ついに「閑かさ」との対比が無限に浸透していくことになった。こんな推敲は、芭蕉一人が可能にしたものだ。とうてい誰も手が出まい。

われわれにとって多少とも手が出そうな芭蕉編集術の真骨頂は、おそらく、「涼しさや海に入れたる最上川」が、「暑き日を海に入れたり最上川」となった例だろう。
なにしろ「涼しさ」が、一転して反対のイメージをもつ「夏の日」になったのだ。そして、そのほうが音が立ち、しかも涼しくなったのである。
享保に出た支考の『俳諧十論』に、芭蕉の「耳もて俳諧を聞くべからず」という戒めをめぐった文章がある。連句の付合(つけあい)の心得をのべているくだりだが、実はこの言葉は「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」にも、あてはまる。蝉の声は耳で聞いているのだが、それを捨てていく。そうすると、「目をもて俳諧を見るべし」というところへふいに出ていける。
これは「涼しさ」が涼しい音をもっているにもかかわらず、あえて「夏の日」という目による暑さが加わって、それが最上川にどっと涼しく落ちていくことにあらわれた。

「物によりて思ふ心をあかす」

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「上記の様に伝えてもらう」と、自分の様な凡人にもビシビシ「伝わります」ね。
そのことは、第60夜「価値創造イニシアティブ:現状を革新する7つの力」の5番目に記しています。

それが、「伝える力・伝わる力」(価値創造の知・第69~70夜)です。引用します。
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「伝えた」ことが「伝わる」に変換されるには、そこに化学反応が起きて、何らかの化合物ができるようなものです。

「伝える」⇒共感・共鳴⇒「伝わる」⇒変わる・行動する(変化・行動)
ここにおいて、「新しい関係が構築される」のが「伝わる」ということです。
「伝える」⇒わかる⇒「伝わる」⇒かわる
という方程式です。

私が前職でプロデュースした、連続「異業種コラボ・ヒット商品」がこの図式です。(第14夜)

「伝える」というのは、送り手の情報を受け手が「知った」という状態。「伝わる」というのは、送り手の情報が受け手に響き、共感・共鳴して変わり行動すること。つまり、第8夜『「わかる」ことは「かわる」こと』で記した状態です。

つまり、『新しい関係性が構築されたコト』を意味します。
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推敲で記されている芭蕉の「耳もて俳諧を聞くべからず」「目をもて俳諧を見るべし」
というポリシー・スタイルが凄いというか凄まじいですね。

自分は、前職パイオニア社で、「サウンドスケープ(音風景)」をプロデュースしていました。
風景は目で見るものですが、「耳で風景を観る」という共感覚(第3夜:負・マイナスの美学)を文化にしたい、世間に広めたかったのです。
それは「逆転の見方」であり、「負(余白)の美学」でした。自分(橋本)の理解では、これと同じ日本の方法が枯山水であり、俳句であり、長谷川等伯の「松林図屏風」でした。

「俳句から、現実(実)と心の世界(虚)を負(マイナスの美学)に仕立てていく」

芭蕉からのいい学びがありました。

『虚に居て実にあそぶ』

そこには、負(マイナスの美学)と、AR・VR・AIとの融合、新結合、新文化が浮かんだのでした。

それをアナロジーとして、新価値創造へフィードフォワード(活用・応用・展開)しようと想っています。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉山寺

橋本元司の「価値創造の知・第190夜」:「芭蕉の知:蕉風開眼の句」①

橋本元司の「価値創造の知・第190夜」:「芭蕉の知:蕉風開眼の句」①

一か月ほど前、仙台方面に「知の旅」に出遊しました。
その松岡正剛師匠主宰「未詳俱楽部」の二日目に、芭蕉が辿った塩釜から舟で日本三景松島に着いたルートを愛でました。

芭蕉が「おくのほそ道」に記すことはありませんでしたが、芭蕉の句に

「島々や千々に砕きて夏の海」

という松島を詠んだものがあります。
東日本大震災のことが頭をかすめながら、それが重なりました。

さて、これまで幾つかの芭蕉のご縁がありました。
ここで、本夜から「芭蕉の知」を綴ろうと思います。

「松尾芭蕉」については、「価値創造の知・第34夜、第175夜」にも記してきましたが、先ず、自分の「芭蕉への見方」を大きく変えた放送からご紹介します。

それは、NHK「100分de名著 松尾芭蕉」の第1回目で、俳人の「長谷川櫂」さんの解説でした。それを加筆引用します。
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古池や蛙飛こむ水の音

この句はふつう「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」と解釈されますが、ほんとうはそういう意味の句ではありません。

古池の誕生のいきさつを門弟の支考が「葛(くず)の松原」に書き残しています。
それによると本来この句は上中下が一度に出来たのではなく中下が先に出来たと言うのである。

つまり先に「蛙飛びこむ水の音」ができ、さあ、上の五文字を何としたらよいかと暫し思案があって、その場に居た弟子の其角が「山吹や」としたらどうですか、というのを芭蕉は敢えて「古池や」と書いたとか。
この句の完成が、芭風開眼と言って芭蕉が旧風を脱して自らの句風に目覚めた瞬間だと言います。

つまり、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句なのです。
つまり、現実と心の世界という次元の異なる合わさった『現実+心』の句であるということになります。
この異次元のものが一句に同居していることが、芭蕉の句に躍動感をもたらすことになります。

それは、それまでの言葉遊びにすぎなかった、貞門俳諧や談林俳諧の停滞を脱して、心の世界を打ち開いた句であった。
それまでだったら、蛙は鳴くものであり、取り合わせは古池ではなく山吹だった。
現に芭蕉が「蛙飛こむ水の音」という中七下五を得たとき、傍らにいた其角は「山吹をかぶせたらどうか」と意見を言って芭蕉に却下される。
山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実(じつ)也。実は古今の貫道なれば、と。
「虚に居て実にあそぶ」が芭蕉の風雅だ。
俳諧が古代から心の文学であった和歌に肩を並べた、俳句という文学にとっての大事件だったと、長谷川は書いています。

心の世界を開くことによって主題を変遷させ、音域を広げ、調べを深めていく。
そして数年後、芭蕉は「古池や」の流れに繋がる句を作りたくて「みちのく」を旅する。即ち「奥の細道」である。
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上記は、第33夜、第40夜に綴った禅の思想であり、価値創造の柱である「二つでありながら一つ」そのものです。
『現実+心』が「二つでありながら一つ」であること。
それが、『蕉風開眼の句』となりました。

それを理解すると、「奥の細道」の芭蕉の句が生き生きとして見えてきました。
それは、ちょうど『枯山水』の世界とダブっています。

受け手側が主人公となって『余白』を任せられるのですね。

違う視点からは、「俳句」も「枯山水」も引いて引いて立ち現れる世界でもありました。
それは、「価値創造の知・第一法則」であります。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
芭蕉

橋本元司の「価値創造の知・第189夜」:「世阿弥の知:男(おどき)・女時(めどき)」➉

2018年11月30日 人生に無駄はない

『風姿花伝』に、世阿弥の造語の「男時(おどき)・女時(めどき)」があります。

「男時は流れに勢いがあるとき、女時は流れが停滞するとき」と読めます。
前職・パイオニア社を卒業し、新価値創造研究所を立ち上げて活動している今、改めて人生を振り返ると、
自分の『人生』では、正(プラス)に満ちて勢いがある時と負(マイナス)で凹んでいる時が交互にやってきました。
そして、正(プラス)が大きい時は、負(マイナス)が大きいことも経験しました。

そして、それは「自分ひとり」だけのことではなくて、多くの人の「人生の法則」のように感じています。

第157夜~第166夜に連続して取り上げた『スティーブジョブズ』もそうでした。
アップルのスティーブジョブズは、創業者でありながら会社を追い出されました。
アップル退職後、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。また、自ら創立したNeXT Computerで、NeXTワークステーション (NeXTcube, NeXTstation) とオペレーティングシステム (OS) NEXTSTEPを開発した。
1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰、その後はiPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。
世界のライフスタイルを変えた「イノベーションの神様」です。

彼は、「男時」、「女時」を繰り返しました。
重要なことは、会社から追い出され、つらく凹んでいた「女時」に何をするかです。
この「女時」に次の「男時」に向かって着々と用意・準備を進めていました。
それは「弓道」で云えば、弓矢を目一杯後方に引いた状態です。そのエネルギーが大きければ大きいほど「的」に向かって強く早く向かっていきます。

そう把えると、「男時・女時」は、第179夜に綴った「老子の知・陰陽論」と基本は同じだということに気づきます。
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世の中に誕生したものはすべて「陰」と「陽」という矛盾した二つの要素を内包している。それを「どちらを取るか」という二者択一の発想ではなく、
こころを空っぽにして「陰陽両方を取る」という心持で、没頭没我の状態で物事に取組むことが大事である。そうすれば矛盾を乗り越えることができる。
(古代中国で生まれた自然哲学の基礎概念に「陰陽論」というものがあります。万物には、「陰」と「陽」という背反する二つの側面が必ず存在しているという考え方です。
陰陽論では、内へ内へと入ってくる受動的な性質を「陰」、外へ外へと拡大していく動きを「陽」とします。
世の中に「存在しているもの」あるいは「起こっている現象」というのは、すべて陰陽後半双方の性質を持っており、当然よい面もあれば、悪い面もあり、よい時期があれば、悪い時期もある。そうした構造になっているのです。
これが陰陽論の基本的な考え方です)
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「当然よい面もあれば、悪い面もあり、よい時期があれば、悪い時期もある」

世の中は、そうした構造になっているのですね。

自分ゴトで云えば、

男時:カーエレクトロニクス設計、技術企画
女時:カーエレ情報企画、開発企画
男時:ヒット商品緊急開発プロジェクト、新事業創造室、総合研究所
女時:部門解散、「次の柱」事業創出プロジェクト、「次の人財」創出プロジェクト
男時:新価値創造研究所

男時の2006年総合研究所時代には、「パイオニア社の10年後」をプロジェクトでまとめました。
そこでは、
①社運を賭けた「大画面TV事業」には未来がないこと(第184夜)
②リソースを活かした、10年後の4つの将来像(シナリオプランニング&ビデオ)
③その時のHMI(GUI・AUI・TUI)
特許を含むプレゼンテーションをしました。

それは、10年後の2017年に全て現実のものとなりました。

しかし、社内の力学で部門は解散させられました。社内左遷です。2006年末に、「女時」に入ったのです。
その時に、多くの人たちの支援で、
・「シナリオプランニング」::社内事業部の10年後の将来、そして、社外事業及び社外研究所支援
・「次の柱」事業創出プロジェクト(3年間)
・「次の人財」創出プロジェクト:社内外の創造型人財の創出(800人受講)
を経ることで、早期の卒業につながりました。

その女時に、自分流の「秘すれば花」を創出したのでした。

そこから、「男時」となる新価値創造研究所に向かいました。
この2006年末からの「女時」がなければ、きっと今の自分はありません。
勿論、このような「価値創造の知」連載もきっとありませんでした。

「人生に無駄はありません」

それが、今の自分の実感です。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ
男時女時

橋本元司の「価値創造の知・第188夜」:「世阿弥の知・離見の見」⑨

2018年11月29日 「我見」と「離見」

100分de名著「世阿弥」の第3回目の放送のテーマは、「離見の見」でした。
その中で、土屋惠一郎さんは次の様に解説していました。

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世阿弥は「離見の見(りけんのけん)」ということを言っています。<見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ>という意味です。
ポイントは「目前心後もくぜんしんご)」にあると土屋は指摘します。<目は前を見ているが、心は後ろにおいて置け>ということです。

自分は前に出て行くのだけれど、客席との間にはある関係の力が働いていて、自分が後ろに引っ張られたり、離れたりする。
そういうすべての関係の中で自分がそこに立っていると意識しなさいということです。そういう意味では、「自分のリズムだけでやるな」ということにもつながるかもしれません。
見所同心(けんしょどうしん)、客席と一体になるように考えてやらなければいけない。自分だけで勝手に盛り上がってもだめだということです。
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「離見の見」で自分が思うは、「我見(がけん)」と「離見(りけん)」です。
私たちは、ついつい「自己中心」でモノ・コト・ヒトを観てしまうのです。それが「我見(がけん)」です。
どこかに、こうなって欲しい、こうあって欲しいという「我欲」「願望」が混じります。

これは、研究所やビジネスの「場」でもよく見られます。
研究所の場合は、研究の「シーズ(種)」ばかりをみて、固執して、顧客・市場の「ニーズ・ウオンツ」とのマッチングに届かないことで溢れています。
なかなか「離見(りけん)」ができないのですね。
そのようなことがあって、本社から総合研究所に請われて異動しました。(第147夜)
研究テーマが日の目をみないで、「死の谷」を渡れないことの大きな理由が「顧客価値創造」ができていないことにあります。
顧客(客席)と一体になるように考えてやらなければいけない。

どうしたら、「顧客価値創造」に届くのかを、この「価値創造の知」で連載してきました。

それは、研究所だけではなく、「既存事業」「新事業」でも同様です。
自分だけで勝手に盛り上がってもだめだ。
顧客の価値観が変わる中で、自分達が変わらないことは右肩下がりや倒産を意味します。
「価値のイノベーション」「意味のイノベーション」(第130夜)に綴りました。

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「EU」はクリエイティブ産業の育成に予算を注ぎ込んだ時代があります。しかしながら、あまり芳しい結果をもたらすことができませんでした。
他方、生産性の向上をどう図るかは、長い間の懸念でもありました。しかし、中堅以下の企業にとって生産性の向上は、実践と効果を考慮すると無理難題が多いと考えられます。
そこで、EUのイノベーション政策立案者が考えた選択肢は二つです。
①テクノロジー開発の背中を押すか
②市場に“新しい意味”をもたらす土俵をつくるか
テクノロジーの推進をやめたわけではありません。しかし、それと同時に“新しい意味”を創る中小企業を増やすことが欧州にイノベーションを起こし、長期的な資産を築き上げることに貢献すると考えたようです。

技術が「どうやって?」を求めるのに対して、“新しい意味”は「なぜ?」を追求します。
(これは、第84~86夜「meaning-深い知」、第118夜「核心・確信・革新が道筋」と同じことを云っています)
つまり、「意味のイノベーション」です。
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それは、「離見の見」のアナロジーでありアプローチにいい事例です。

さて、「新価値創造イニシアティブ」(第77夜)には、「離見の見」に繋がるコトを綴っています。
・「価値を伝える力&価値が伝わる力」(第69夜、第70夜)
・「巻き込む力&巻き込まれる力」(第71夜、第72夜)

「価値を伝える力」「巻き込む力」が注目されますが、それはどちらかというと「我見」です。
「価値が伝わる力」「巻き込まれる力」がなければ前進できません。これが「離見」です。

この両方が「二つでありながら一つ」(第33夜、第82夜)で市場創造にリーチできます。。

ビジネスの話をしましたが、人生も同様ですね。
第186夜の「間(ま)」でも記しましたが、人と人との「間」、関係で人生は成立しています。
「空間」「時間」「人間(じんかん)」を「離見」で観ることで人生は、深く・高く・広くなります。

見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ。
「我見」ではなく、「離見」で観た時に初めて、本当の自分の姿を見極めることができる。

価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ

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