2017年2月13日 田坂広志さん
皆さん、田坂広志さんをご存知ですか。2011年 民主党政権にて内閣官房参与として原発事故対策、原子力行政改革、原子力政策転換に取り組まれていたので、よくメディアに出られていましたね。
田坂さんと私の出会いは20年前で、 田坂さんが日本総合研究所で「産業インキュベーション」のビジョンと戦略を掲げ、10年間に民間企業702社とともに、20のコンソーシアムを設立し、民間主導による新産業創造に取り組まれていた時でした。
ちょうど、前職で多くの異業種コラボレーションによるヒット商品を創出していた時に、上記の「産業インキュベーション・異業種コンソシアム」の会合に呼ばれました。
そこで、スピーチを依頼されたのですが、その内容は後述します。
さてその時から感じていたのは、この方は「志(こころざし)に真剣であり本気の人」ということでした。
「未来を拓く君たちへ」(写真)で、「志」とは何か、を記されていますのでその一部をのせます。
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「志」とは、何か。
一言で述べておこう。
与えられた人生において、
己のためだけでなく、
多くの人々のために、
そして、世の中のために、
大切な何かを成し遂げようとの決意。
それが「志」だ。
その「志」を抱いて生きる。
そのことを、決して忘れないでほしい。
では、なぜ、我々は、「志」を抱いて生きるのか。
この本では、君に、そのことを語ろう。
だから、この本の副題は、
「なぜ、我々は『志』を抱いて生きるのか」
その理由について、君に語ろう。
その理由を知ることは、
この人生という名の山の
登り方を知ること。
そして、それは、君の人生にとって、
とても大切なこと。
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凄まじく伝わってくるものがあります。「広志」さんという名前は、志を広める人という意味が込められているのですね。現代のスーパー伝道師なのです。
人生に前向きな私の友人達が、田坂さん塾長の下記「田坂塾」に入門しています。
「田坂塾」とは、企業の経営者や組織のリーダーの方々が、互いの人間成長をめざし、切磋琢磨をしていく場です。
そして、「現実を変革する知の力」としての「21世紀の知性」を身につけた人間像を目指した活動をされています。
さて、自分が40歳前半の時にに、田坂さんから大きく影響を受けたことを3つ上げます。
1.「志」を抱いて生きる
2.「使える弁証法」
3.「知行合一(ちぎょうごういつ、ちこうごういつ)」
=知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知から発する作用であり分離不可能である
よく、自分のセミナーや研修では、事業開発や人材開発を航海に例えることが多いのですが、これから船出(新事業)する時に、重要なコトは、錨(いかり)を何に置いているのか、そして、何処をめざしていくのか(北極星)、を明確にしてゆくことです。(価値創造第25夜 トリニティーイノベーションの①②です)
それを導きだしてくれるのが、1.「志」と2.「弁証法」になります。そして、1.&2.を結ぶ新機軸がみえたら、羅針盤を描くことができます。広い視野と大局観が生まれます。あとは「知行合一」あるのみです。
上記①②③と、全く同じことを前職の「ヒット商品プロジェクト」でプロデュースしていました。そして、様々な企業をご支援する現在も、その考え方、進め方は全く変わっていません。
さてさて、「ヘーゲルの弁証法」です。
これからのIoT社会、AI社会の未来を洞察する時の最強のツールになります。「使える弁証法」(2005年初版)を是非ご覧になって、使いこなされることをお薦めします。
「ビジネス生態系」「自分の人生」「ライフスタイル」等々、活用の幅はとてつもなく広いものがあります。
最後に、首記の自分のスピーチの一部をお伝えします。
「(前略)
田坂さんから、先ほど「弁証法」(=正反合)のお話しがありました。『知』にも触れられていたので、それについて思うところを述べます。
現在の知は『教養』ですが、それがITの時代になって進化が必要になってきたと思います。
弁証法で捉えれば、過去の江戸時代に大事にされていたのは、『修養』(徳性をみがき、人格を高めること)です。
その中心は、肚(丹田)にあり、肚の文化でした。茶道も柔道も相撲もそうですね。その修養が『正』です。
それが、頭のほうに上がってきて『教養』重視になったのが明治です。その教養が『反』です。
さて、21世紀の「知」はどのようになるのでしょうか。
弁証法でとらえれば、それは、「修養(正)」と「教養(反)」が結合した『修教(合)』の時代ではないでしょうか。
21世紀の日本に求められている、新しい「知」=『修教』をこの異業種コンソシアムで共に創り上げたいですね。
(後略)」
20年前にお伝えしたこの気持ちは今も変わっていません。
「おもてなし」(第2夜)と「現在の日本の教育」に求められているのは『修教の知』と確信しています。