2018年12月7日 『軽み』・『却来』・『色即是空・空即是色』
前夜は、「不易流行」について綴りました。
それは、時が流れても変わらない不易に心を置きながら、時の流れとともに変わる流行に目を置く。
それは、第88夜「世阿弥の知 離見の見」「目前心後(もくぜんしんご)」を想起させます。
「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ。
その本質は、「我見(がけん)」と「離見(りけん)」にあります。
それと同時に、第6夜「空即是色」と「不易流行」は同じことを云っていることに気づきました。
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「色即是空」というのは、「現実=色」に問題・課題があるのなら、先ず心を無にして、「大元=空=大切なこと=真心」に戻りなさいと教えてくれているように思います。
そして、「空=大元=真心」に戻って従来のしがらみや常識から解き放たれて、その本質(=コンセプト=核心)を把えてから「現実=色」を観ると新しい世界(=現実=色=確信)が観えるということではないでしょうか。その確信を革新するのがイノベーションであり価値創造です。
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第190夜に、蕉風開眼の「古池や蛙飛こむ水の音」の世界を紹介しました。
それは、古池の句は現実の音(蛙飛びこむ水の音)をきっかけにして心の世界が(古池)が開けたという句である、と。
「現実(実)と心の世界(虚)という次元の異なる合わさった『現実+心』の句である」ということです。
それは、「現実(実=色)と心(虚=空)」の図式です。
俗っぽい俳諧から、「現実(色)から心(空)を想起し、その空から色を推敲した」様式を創ったのが芭蕉ではないでしょうか。
そこにある「心(空)」が「不易」に近づき、高まっていくと「高尚」になっていきますね。
・高く心を悟りて俗に帰るべし(=高悟帰俗)
「小林一茶」(丸山一彦著)は、これを「俳諧の本質は、現実から出発しながら、それを一旦突き放し、廻り道をしながら、再び現実に帰ってくるところにある」
と著しています。
これを、芭蕉は「軽み(かろみ・かるみ)」と云ったのではないでしょうか。
「高悟帰俗」としての芭蕉の表現を「軽み」とすると腑に落ちます。
それは、第4夜(用意と卒意)の「侘び、寂び」にもつながってきます。
同時に、それは、第183夜の「世阿弥の知 却来の思想」でもあります。
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「却来」の思想は、優れた風儀がつまらぬ「なりふり」を一挙に吸収していくことをいう。くだらなさ、つまらなさ、下品さを、対立もせず非難もせず、見捨てもせず、次々に抱握してしまうのである。
なるほど「能」とは、このようにして万象万障に「能(あた)う」ものだったのである。・・・
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「空即是色」(第6夜)、「世阿弥の知 却来の思想」(第183夜)と「芭蕉の知 かろみ」(本夜)とが一直線で繋がりました。
さてさて、それを現代に引き戻すと、「高尚なコンセプト」を「かろみ」にする方法として活用できます。
例えば、
・池上彰さんの分かりやすいニュース解説
・第28夜 旭山動物園「命の大切さ」→動物が生き生きしている展示
・会社の理念→ビジョン展開
・自分の生きがい、やりがい
等々です。
今は、この連載で何回か記しましたが、「社会に役立つこと」と「会社の理念・活動」が繋がることが不可欠な時代になっています。
是非、社会の在り様、会社の在り様を再検討してみてください。
それは、「人生」においても同様です。
そこに、「価値のイノベーション」「意味のイノベーション」(第130夜)という『お宝』があります。
価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ