2018年2月4日 『勿体』と『価値』は同一である!
前夜(第102夜)は、価値と価格の関係(主観と客観)について記しました。
本夜は、ずっと気になっていた「勿体(もったい)」と「価値」の関係を初めて綴ろうと思います。
結論からいうと、「『勿体』とは『価値』のことである」
と直観しました。
さて、『勿体』とは何かをひも解いて『価値』との関係を引き出します。
「プラネット・リンク編」では、
「もったい」と「もったいない」について次の様に著しています。
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「もったい」とは、物の本体を意味する「勿体=物体」のこと。「ない(無い)」は、それを否定したもので、本来は、物の本体を失うことを指す言葉でした。
また。「もったい」には重々しく尊大なさまという意味もあり、それを「無し」にすることから、畏れ多い、かたじけない、むやみに費やすのが惜しいという意味で使われるようになりました。
しかし、なによりも「もったいない」という言葉の奥には、
「努力」や「苦労」、「時間」や「歴史」など、せっかく積み重ねてきたことを「失ってしまう」「無にしてしまう」ことへの無念と哀しみがあるのです。
友人がせっかく淹れてくれたコーヒーを目の前でこぼしてしまったら、「あー、もったいない」という言葉が咄嗟に出てくることでしょう。
それは、コーヒー自体を無駄にしてしまった恨みもさることながら、「おいしいコーヒーをあなたに飲ませてあげたい」と思ってコーヒーを淹れてくれた友人の「努力」と「時間」、「苦労」と、そしてなにより「気持ち」を無駄にしてしまったことに対する申し訳なさ、情けなさ
なのです。 ・・・。
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物を節約するだけでなく、自然を尊び、人間の可能性を大切にするこころ。「もったいない」は、日本が世界に誇る美しい精神です。
第50夜でも綴りましたが、
ここで、日本人が使う「物(もの)」への感覚を提示します。
「物語」の物(モノ)とはどのような意味を持っていると思われますか?ものづくりの「もの」とは違いますね。
「モノには精神性(心性、霊性)が宿っているという感覚」を日本人は無意識のうちに受け継いでいるように思います。
物(モノ)には、物の奥にある精神性・時間が同居しているのです。
「勿体=物体」には、それが含まれているのですね。
そう、それはとても「主観的」です。
自分がまだ20代の頃に、尊敬する「草柳大蔵」さんの講演に参加しました。その中で、「『勿体』とは、そのモノが本来持っている可能性のコト」と話されていて感銘したことが自分の脳に強く残っています。
「大切なもの」「役立つコト」が『勿体』の本質です。
そうすると、それは前夜(第102夜)に綴った『価値』と同一です。
・『価値』=『勿体』
・『価値創造』=『勿体創造』
如何でしょうか?
『勿体』を「つくるコト」と「引き出すコト」がとっても重要です。
それを『才能』と呼びます。
『能』とは、『才(元々備わっている力)』を引き出す力です。その『能』が新価値創造研究所が扱うトリニティー・イノベーションになります。
価値創造から、「事業創生・地域創生・人財創生」へ